お名前:青木 宏人(あおき ひろと)
職業:㈱マーケティングアシストプロジェクト 代表取締役社長
2008年4月創業。
大企業、中堅、中小企業に対し、通算約500回の研修で培った経験と中小企業のコンサル支援200社を超える実務家が事業支援を通じて培った知識の使い方を伝授します。私は、コンサル支援と研修支援の両方を行うハイブリッド型の支援をしていますので、事業活動の現場で「知識をどのように使うか」という点で、自分なりに色々と工夫してきました。勉強会では、知識を理解し、実務にいかにして応用するかという事に重点を置いてお伝えしたいと思います。
<主な実績>
◆コンサル支援 中堅、中小企業への経営戦略、マーケティング戦略の立案とアクションプランの実行支援 支援企業数 約200社
(支援業種抜粋:大分類 建設業、運送業、製造業、サービス業、卸売業、小売業、飲食業
電気工事業、土木、建築工事業、加工部品製造業、プロモーション支援業、文具卸業、花き卸業、アパレル小売業、印刷業、教育学習支援業、冠婚葬祭業など多数)
コンサルティングで大切にしていること
戦略を絵に描いた餅にせず、アクションプランを実行し、成果に繋げることを大切にしている。
また、人を活かす経営をモットーとし、最大の経営資源としての人の強みを活かすことを重視している。
◆研修支援 上場企業、中堅、中小企業への研修
・上場企業のマーケティング担当者向け マーケティング思考力強化研修 2日(9:00~17:00)
・上場企業の知的財産部門向け 戦略思考強化研修 3日間(9:00~12:00)
・上場グループ会社でのCS、営業部門向け 戦略的思考力強化研修1日(9:00~17:30)
・中堅企業へのパーパス経営の浸透に向けた実践的研修 5日間 (13:00~17:00)
・中小企業 管理職向け ドラッカー理論を使ったマネジメント研修 2日間(9:00~18:00)その他 多数。累積研修実績数 約500回
研修支援で大切にしていること
知っているから、自社の事業活動に活かせるという点を意識している。
学ぶ楽しさ、成長する実感を体感いただくように配慮している。
◆講師実績
SMBCコンサルティング 関西 定額セミナー 経営戦略、マーケティング 講師
南都経済研究所、なにわあきんど塾、京商ビジネススクール マーケティング講師など多数
わんぱく少年の将棋との出会い
上村:本日はよろしくお願いいたします。今のお仕事をご紹介いただいてよろしいでしょうか?
青木:株式会社マーケティングアシストプロジェクト(以下:MAP)の代表しております。青木と申します。よろしくお願いします。元々アミューズメント業界で営業しておりました。新卒でアミューズメント業界に入って、そこで14年間営業した後に中小企業診断士という国家資格を取得して2008年に個人事業主として創業しました。今は、先ほど申し上げたMAPの代表をしております。
今の仕事としては大きく2つの事業がありまして1つが経営コンサルティング事業、もう1つが研修やセミナー事業です。経営コンサルティングの事業は売上高で言いますと、数億億円から100億円ぐらいまでの会社さんに対して事業計画を立てて実行支援するという事をしています。研修の方は中小企業様にも研修するんですが売上高で言いますと、数1,000億円のような大企業さんにも研修をしています。
実際にその研修だけをする講師の方もいらっしゃるんですが、僕はコンサルの実務もやっていますので研修で学んだ知識の使い方が難しいとか知識を知っていても使えないという課題がリアルの現場をしているとよくありますので研修事業では知識をどう使って仕事の成果に繋げるのかそんな事を意識しながら仕事をしています。事業内容としてはそういう形です。
上村:ありがとうございます。アミューズメント業界でお勤めになられて、その後、中小企業診断士の資格を取られたという話がありましたが、学生時代から今に至るまでのご経緯を詳しく聞かせていただいてよろしいでしょうか?
青木:はい、分かりました。僕は元々、徳島出身でして小学校時代は非常にわんぱくで勉強は全然しないけどスポーツや格闘技が好きで、暴れん坊な子供でした。中学校に入って、もともとスポーツ好きだったんですが、足の骨を折ってしまったんです。スポーツが出来ないからちょっと暇つぶしに将棋でもやろうかなという事から始まっておじさんと将棋を指したんです。そしたら負けましてそれが悔しくておじさんに勝ちたいと思って本を読んでいくと、そのうちに面白くなってきて、将棋道場に通っていたら中学校の時に全国中学生選抜将棋選手権に県代表として出場するまでになっていました。
不合格続きの日々と中小企業診断士資格との出会い
プロ棋士にもなりたいと中学3年生ぐらいの時は思っていたんですけど、甘い世界ではない事を知り、大学に行こうと思って勉強を始めるんです。ですが、なんせ勉強は苦手で、6つぐらい大学を受けたと思うですけども、全部不合格でした。それで1年間予備校に通って、また6つほど受けたんですけど、また不合格となり、大学受験は全部失敗しました。
その後、英語の専門学校に行って、2年間学びました。その時は就職活動でどこに行きたいという明確なものはなかったんですが習っていた英語を活かしたいと思い、ホテル業界を受けました。ただ、ここでもホテル業界に全部落ちました。もう事ごとく落ちるなと思いましたよ。その当時、アルバイト先で出会ったお客様がすごく僕の事に好意を持ってくださって「自分のコネで入れる事は当然出来ないけど採用試験を受ける事はできるので、受けてみないか」と言っていただいて、パチンコメーカーに就職しました。
パチンコはやった事が無かったのでパチンコメーカーに入ってからパチンコとはなんぞやから勉強しましたが、その中で営業という仕事がすごく面白く感じました。それで、せっかく営業をするのであれば、全国で一番になろうと自分で目標を立てて必死に営業活動をやりました。きっちりと成績が発表される会社じゃなかったので全国での順位は分からないんですけど、上位にもなる事ができましたし、お客様からも信頼されて非常に仕事は楽しかったですね。それが20代の半ばから後半です。
そんな中で、お客様(パチンコ機を扱っているパチンコ店)が求める要望、悩みというのは当然色々とありまして、例えばお客様の集客をどうするかとか、アルバイトさんのモチベーションをどう上げるかとか、そもそも色々と競合の店舗があるから違いをどう出して店を繁盛させるかとか、そんな要望があって信頼されればされるほどお客様から相談される機会があるんですね。ただ、それに対してどうしても答える事が出来なくて「困りましたね」とか曖昧な答をしていました。
そんな中、本社の名古屋に行く機会がありまして、当時の専務と常務に会える機会があってですね。本来そういう趣旨で集まった場所ではなかったのですが、その場で20代で生意気にも「会社としてもっとこういう方向で行った方がいい」と言うような発言をして、経営陣に物申したんですね。しかし自分が言っている事が全く通じなかったんです。「元気はいいけど何を言っているか分からん」と言われて、そこでそれは経営者が悪いというより自分の知識がない、営業の視点からしか物事を見てない事に気が付いて、名古屋本社での会議があった翌日に書店に行って中小企業診断士という資格がある事を知ったんです。その資格はどうも経営に関する知識を学べる資格でしかも経済産業省が経営コンサルタントに必要な知識が一定以上ある事を認めているものだという事がわかって中小企業診断書を取ろうと思いました。
最初は会社で貢献しようと思って取ったんですけども、「経営コンサルティング」という世界がある事を知ってそちらの方に魅力が傾きながら今に至ります。
経営コンサルタントという仕事との出会いと独立当初のご苦労
上村:ありがとうございます。社内で活かすよりはコンサルティングをしたいと思われたのはどうしてでしょうか?
青木:そうですね。その資格の勉強する中で、経営コンサルティングとしてすごく輝いている方々がいる事を知ったんです。メーカーという仕事もすごく魅力的だったんですけがどうしても自分のところの機械を売らないといけませんので、時にはゴリ押しで売らないといけない事もあります。経営コンサルティングで独立すればお客さまのニーズに合うときは提案をして、ニーズに合わないときには気持ちよく他のコンサルタントを紹介出来たりも出来ますので、そのあたりで自分には向いているかなと思って途中からコンサルタントになりたいなと思いました。
上村:勉強している時に。そういうコンサルタントとして活躍されている人と出会ったのがきっかけだったんですね。
上村:そうですね。能力がなかったものですから。中小企業診断士の試験合格も5年掛かりました。非常に長い期間勉強しましたので、その期間にいろんなコンサルタントがいる事を知って、自分で経営コンサルタントとして独立してみたいと思いました。
上村:ありがとうございます。独立して16年目という事で、今ご活躍されていますが、独立したばかりの頃はどうだったのか?ご苦労があったのか?という事を聞かせてもらえますでしょうか?
青木:はい。2007年の4月に中小企業診断士の資格に合格をしまして、そこから会社に1年後にやめると伝えて、1年間はしっかり仕事しながら土日とか平日の夜に中小企業診断協会の様々な勉強会に参加しながら、知識をインプットしたり、実務補習・実務従事という企業さんに無償でご支援させていただきコンサル体験をさせてもらう事が出来るのですが、そういった活動を1年間行いまして、2008年4月に独立しました。その際に最初に決めた事が2つありまして、1つは非常に好きだったんですけどパチンコ業界でのコンサルタントをやめようと決めました。自分の強みとしてその業界の事を知っているというのを手放すわけですので非常に決断は大変だったんですが、パチンコ業界で仕事をしますと今までの延長線上のお仕事をしてしまいそうだったのでやめようと思いました。
もう1つは、独立すると中小企業支援機関様の窓口相談業務とかで週5日間勤務の1年契約で経営相談を乗るといったお仕事があるんですけども、それも非常にありがたいんですがそちらもしないという事を決めました。どうしても週5日、1年のほとんどを支援機関で相談業務をすると独立しての自分の新しい活動がしにくいと思ったからです。もっと言えばそこで安定したお金をいただくとですね。自分は弱い人間なので何がなんでもお客様を獲得しないといけないという意欲を欠いてしまうと思ったからです。だから、何もないところから逆にスタートして貪欲にお客様を開拓していこうと、どんなお客様の要望に対しても、全て答えていくという強い意思のもとに2008年4月に独立しました。
ただですね、全てのお客様の全ての要望に応えるという事は、逆に言うと、誰の要望も答えられないという事に繋がりますので、結果、お仕事は全くいただけませんでした。
売上高も一番ひどいときは月8万円でした。家族を養っていかないといけないんですけど、到底養えない厳しい状況からスタートしました。
〇〇と言えば青木さんと呼ばれるために~ビジョンと武器を持つ~
上村:そうでしたか。どのタイミングで何がきっかけで軌道に乗り出したのでしょうか?
青木:はい。これはですね。本当は本来であれば、創業する前に会社の経営理念とか、自分はどこを目指すのか?というのを深く考えるべきなんですけども、その点は非常に甘くて、やる気と根性だけで独立したんですが、そういう状況でうまくいかなかったので、自分は何のために事業をしているのか、自分の志は何なのかという事で、自分の経営理念とか行動指針で自分自身は何を強みでどういう支援をしていきたいかという事を改めて自分と向き合いました。
その時に自分は「ビジョンを達成するという企業さんをサポートしたい」という思いがありました。ビジョンを達成するための戦略参謀になろうと思いました。ではその戦略を立てていく事をどうやっていくかというところで、バランスカーカードという経営手法を自分の武器にしました。そしてこの戦略を自分の商品にしようと思ったのが学生時代から将棋をずっとやってきたっていうお話と繋がります。
自分の強みが何かというのをすごく向き合ったという事を話ましたが、最初は中小企業診断士になったという事で知識がある事が自分の強みと思っていたんです。
だけど、当たり前の事ですが、中小企業診断士を取った瞬間に、そこで会う方は中小企業診断士ですので、それは差別化にもならなくて、あくまでスタート地点に立っているだけですよね。だから、そうではなくて自分が、他の人と違う強みは何かと考えた時に、中高生の時に打ち込んだ将棋を思い出しました。僕からすると将棋というのは全国大会でも優勝はできませんでしたし、プロにもなれなかったので、どちらかというと挫折体験でした。高校3年生の時に大学受験を失敗と同時に将棋はやめていたんですけども、僕を振り返るとき将棋は切っては切れないものでした。
将棋というスポーツは20個ずつ駒を持って行います。そして将棋の1つの試合の中で3つフェーズがあるんです。最初に「序盤」というフェーズがあり、そこは「どういうふうに戦おうか」とか戦略を考えるんですね。次の真ん中のフェーズが「中盤」です。ここでは駒を取ったり取られたり出来ます。なので、ここはある意味、経営で言うとヒト・モノ・カネ・ノウハウ・情報という経営資源を取ったり取られたりしながら会社を強化するという事に置き換えられます。そして最後は「終盤」です。これは将棋というスポーツにおいてはいかに早く王様を詰めるかという事ですが、ビジネスの世界では、お客様の要望にいかに的確にスピーディーに応えるかこういう事に置き換えて考えられます。そう考えると将棋というスポーツと経営というのは近いのではないかなと自分の中で仮説を立てたんです。
この戦略思考力があるということを強みにして経営コンサルティングを行おうと決めました。ただ、将棋をやりませんか?と企業さんに言ったらただの変な人ですから(笑)、それを武器として何かコンサルティングサービスとして出来ないかなという考えた時に、先ほどお話ししましたバランスカードという経営手法がある事を知り、そちらを武器としながら企業様を支援する事をしてから軌道に少しずつのってきました。
青木:その時に知的資産経営という考え方にも出会い、学びました。この二つについての支援の仕方を組み合わせ事によって、知的資産経営支援といえば、青木さんというふうにある程度認知がされるようになってから、また知的資産経営の実行支援のところでバランスカードを使って計画を立てるだけで終わらずに実行までフォローしてくれる人といえば青木さんというふうな認識が少しずつお客様や同業者の中に浸透していく中で、紹介や口コミが増えてきてからはかなり忙しくお仕事をさせていただけるようになりました。
上村:武器が出来上がり、実績が積み重なっていき、そこから広がっていき、好循環なサイクルが回っていかれたのですね。
青木:そうですね。自分ができる分野をすごく絞り込んで、この部分は誰にも負けない。その代わり、それ以外の部分はやらない。やる分野とやらない分野を明確にしてやると決めた分野はとことん深掘りするとそういうやり方をした事によって「〇〇と言ったら青木さん」というふうに認識されたのかなと思います。
上村:このままでは生活出来ないという危機感から、ご自身と向き合っていく中で強みの分析等をされたという印象を受けました。このような内製化や分析はこの危機を感じるまでもされたりしていたのでしょうか?
青木:いえ、それまではしていないです。独立して全くお客様からのお仕事の依頼もないし、同業者からの協力依頼も紹介もないし、その時の自分は「全てのお客様の全ての要望に応える」というぼやけた事しか言ってないので、誰からも何ができるかという事を伝えきれてなかったんです。だからこのままでは駄目だという事で、元々の創業の目的と強みの洗い出しをやらない事にはお客様にも貢献出来ないし、ひいては家族も養えないしという事で本当に創業して1年目にそういう事を考えました。
挫折体験を切り替えてモチベーションに変える力
上村:ありがとうございます。お話の流れの中で聞きたかった事がありました。大学に2年間受からなかったお話と診断士合格も5年かかったお話がありました。何度か挫折を経験される中で気持ちが落ち込んだりする事もあったかと思うのですが、挫折を乗り越える事や、挫折体験に対して気持ちを切り替える事は当時どうされていたのでしょうか?得意だったのでしょうか?それともやはり挫折を乗り越えるのは苦労されていたのでしょうか?
青木:はい、挫折はたくさん経験しています。大学受験の時は全部失敗したんですけど、ただ英語の専門学校にどうせ行くんだったら。英検とかビジネスの資格とかをしっかり取ろうとか自分の中で目標を切り替えてモチベーションを維持したりしていました。
入社した時もホテル業界に本当は入りたかったけど入れなかったですが、せっかく機会をいただいてパチンコ業界に入れたので、どうせやるんだったら営業で1番になるという目標設定をしてモチベーションを高めました。
診断士試験も5年落ちたんですけどもこれも受験する前に奥さんにこの資格を取って会社で活躍するという事を言って、そこをモチベーションにしていましたし、途中からコンサルタントというのが見えてからは資格予備校の先生のコンサルの話を聞きながら、ああいう先生になりたいと思って自分の目標設定する事によってモチベーションを高めていました。
そういう事をして昔から挫折を乗り越える事やモチベーションを維持する事をやっていましたね。
上村:なるほど、昔からスポーツや将棋をされていたから大会で勝つとか上を目指すといった目標を設定する事は自然にされるようになったんですかね。
青木:そうですね。趣味でも仕事でも何でも目標設定をしてそれをクリアするという思考が昔からありました。
上村:なるほど。私も色々な方にインタビューさせてもらっていますけど、目標の持つ力は共通してあるんだなとすごく感じますね。
青木:そうですか。
65歳までのビジョン~1人では成し遂げられない世界へ~
上村:目標という話が今ありましたが、青木さんの未来に対する目標、ビジョンを教えていただけますか?
青木:はい、僕はですね。今、48歳で17年後の65歳まで自分のビジョンを描いているんですけども、私はやはり「ビジョン達成と人を活かす経営の分野の経営コンサルタントといえば、青木さん」と言われるような企業を目指してやっていきたいと思っています。ですので、そこに目指して自分の今足りない事を洗い出してそれに必要なスキルというのを常に身に付けながら僕の65歳の姿を実現しようと思っています。
今は私、経理業務とかは手伝ってもらっているんですけども、コンサルティング業務は自分だけでやっています。セミナーでは、時には組んでやる事もあるんですけどもアライアンスしてお仕事するって事はまだ少ないんですね。ただ、僕の65歳の姿というのは、決して1人で出来るわけではないと思っています。今、志のある方々と出会う機会をすごく作っていまして、そういう方々とご一緒する中でいい方々と一緒に仕事をしていきたいなというふうに思っています。自分一人では成し得る事が出来ないので、そういう素晴らしい方々と一緒にビジョン達成と人を活かす経営というのをいい形にしたいというのがあります。
上村:そしたら65歳の時には今よりも事業も大きくなってより多くの方々にサービスを届けるような世界になっているという事ですかね。
青木:そうですね。事業規模で言いますと、今の20倍ぐらいにはなっていると思います。
上村:そこを設定したのはどういう思いからですか?
青木:僕自身がお客様に、自分たちの会社の存在意義とかビジョンを考えるいわゆるパーパス経営というものの支援、もう少し砕けて言うと「10年後どうなりたいですか?」といった支援をするコンサルでやっています。という事は自分自身も当然「やってないけどお客さんやってくださいね」なんて事を言っていると説得力がありませんよね。そもそも僕は創業して最初の頃は何でもやりますという形でブレていたんですけども、途中からそういうビジョンを大切にする支援サービスにしているんですね。
僕自身も5年10年はビジョンを立てるようにしていますが、皆さんも記憶に新しいとは思いますが2020年からのコロナがありましたよね。2020年4月の1回目の緊急事態宣言の時に初めて研修のお仕事がゼロになりました。今まで研修をしていてゼロになった月はなかったのでもう売上が当然ゼロですね。コンサルティングに関しても訪問ができません。
私の支援の仕方としては、現場でお客様とのやり取りを五感で感じながら支援するというスタイルが得意なものですからzoomという方法もあるんですが、お客さんとも「じゃあもう少し様子見ましょう」と話をしてzoomでの支援スタイルは積極的に行わない事にしました。その結果、コンサルの売り上げも大幅に落ちました。
青木:その時はカフェにも行けないので、自宅がマンションなんですけど、この機会をチャンスと捉えて今しか出来ない事をしようと思ったんですね。それでマンションのベランダに机があるんですけども、そこに朝の5時とか6時とかに出て今まで読めていなかった本をどっさり持っていって読みました。そして、もう一度自分は今後どうしていくのかというビジョン、それは10年とかではなくて、もっと先の65歳まで立てようという事を思いました。それで第1回の緊急事態宣言の時に65歳の自分のビジョンを描いて、「そのビジョンを達成するための戦略としてどんな武器がいるの?」という事を洗い出しをしました。その時期は今まで一番勉強しました。だいたい夜が暗くなるまで毎日やっていました。
暗くなって本が見えなくなってからはベランダでテレビ東京さんの「ガイアの夜明け」とか「カンブリア宮殿」の今まで見ていなかったものを何百本と2倍速で見ていました。出られない時期の間ずっとその生活をしていましたので、もう何十日でないくらいやっていました。
あれから3年経ちますが、その時の事が非常に活きているんですね。今、過去最高の業績なんです。過去一番忙しい時よりも1.5倍ぐらいお仕事いただいているんですけども、やはりその時、色々としゃがんでいる間に身につけたものがその後のジャンプに繋がっているかなと思っています。
危機って誰にでもあると思うんですけど、それは次の何かを考えるための与えていただいた時間かなと思っていて、それをチャンスに変えるという思考が今までも大事だと思っていたんですけどそのタイミングで改めて再確認しました。
上村:ありがとうございます。今の話は本当に色々と学んでいる若い世代にとってもすごく刺さる話だと思いました。
努力できる原動力と時間活用術
上村:そのように早朝から夜遅くまでお仕事や勉強をされたり、本日の話には出ていなかったですが、ご自身のバイブルとなるようなビジネス書を何十回と読み込んだり、すごくストイックな方だと尊敬しているんですが、そこまで出来る原動力はどこからくるのでしょうか?
青木:まずは自分が立てた志、目的、目標は必ず達成したいという気持ちが強くて、そしてそれを達成できると思っていつもやっているんです。未来の事はどんな事でも達成出来ると思って進むタイプではあるんですが、現状を見た時にあるべき姿とものすごくギャップがあって、そこには足りない能力がいっぱいあるわけですよ。じゃあその足りない能力を埋めていくんですけど、僕は大学も全部落ちて、診断士試験も何度も落ちて他の人と比べて能力がないと思っています。だから能力がないんだったら、他の人の何倍も努力しないといけないと思っているんですね。
青木:僕は「2倍努力して10倍成果を上げる」という考えを大切にして、意識して仕事をしています。2倍努力をしようと思うと1日は24時間しかないじゃないですか。これはお勧めしませんけど僕は大体17時間ぐらい仕事をしています。
移動時間も耳からオーディオブックでインプットしたりして、時間を有意義に使っています。能力がないから2倍やらないといけない。じゃあその2倍やるためには時間をどのように使ったらいいかという事も考えてやっています。まとめると自分の抱いた姿への執着がすごくあるのですが、一方で自分の能力はない事を自覚しているのでそれをどう埋めるかという事を常に考えてやっているという感じです。
上村:1日17時間という事ですが、基本は平日にお仕事されているイメージですかね。
青木:休みはないです。休みは正月の朝10時ぐらいから皆で朝ごはん食べますよね。正月の朝10時からはお酒飲みますので、正月のその時間は休みですね。ただ朝4時に僕が起きるんですけど4時から10時までの6時間は仕事をしていますので、休みという概念はないです。これ人には強要しませんが、自分は経営者で、好きで仕事していますから仕事しているというよりは楽しいという感じです。
上村:そういう事なんですよね。もう人生の一部という感じなんですね。
青木:もし無理やり休みというのであれば、経営に関する本を読んでいる時間は僕にとっては休みです。
上村:そうですよね。私も確かに本読む時間はストレスというわけでもなく、すごくいい時間なのでその感じは分かります。
上村:ありがとうございます。そのような生活をされているとご家族もご理解もされているんでしょうね。ご家族とかの時間とかってあまり取れていないのかな?と思ったのですがその辺りはどうされているのでしょうか?
青木:診断士の勉強をしていた時は、まだ新婚だったんですけど、その時はこの資格は難しいのでかなりの時間勉強をしないといけないから申し訳ないけども家族サービスする時間はないと伝えていました。
それで落ちましたから、2年目からは家族サービスをしながら、その時間をどう捻出するか考えた時に奥さんが寝ている間の朝や夜中に勉強する等、家族サービスの支障がないような時間の作り方を考えてやっていました。
独立してそれなりにお仕事いただくようになってから家族サービスは最初の10年ぐらいは殆どできてないです。最近になってお盆とかゴールデンウィークは皆で旅行に行ったりはしています。ただ旅行に行ったときも朝とか3時ぐらいに起きて、皆が寝ている間に朝ごはん行くまでに仕事はしますね。
先ほど話したようなビジョンを目指してやると知っているので、奥さんからはこの人はそういう事を目指しているという事である意味諦められていますね。
若者へのメッセージ~一勝九敗は成功への過程~
上村:なるほど。ありがとうございます。最後に聞きたい事ですが、高校生、大学生、20代の社会人といった若い世代へ何かメッセージいただけますでしょうか?
青木:はい、若い方々には自分の可能性を信じてほしいと思っています。「どうせ自分は出来ないんじゃないかとか」「どうせ挑戦しても失敗するんじゃないかとか」と思わないで欲しいです。そういうふうに挑戦する事なくやめていく方もよく見てきました。
その挑戦するという事は、失敗をする可能性が増えますので、1回の失敗で傷ついてやめてしまう人もいっぱい見てきました。ただ失敗というのは挑戦しているから起こる事ですし、最初から成功する人って中々いないんですよね。皆さんがよく知っているユニクロの創業者の柳井さんが「一勝九敗」という本を出しています。この本の中で世界的に有名な企業であるユニクロさえも要は九回失敗して一回成功するという事を言っておられます。ただ九回の失敗を失敗と捉えるのではなくて、九回は次への過程を学んだと捉えてもらったら、一回の成功のための九回があると捉えられると思うんですよ。
だから皆さんもまずは自分がどういう事をやりたいかを探してほしいと思います。そのためには大人だけじゃなく、自分たちの身近な人でもいいし後は偉人もありますよね。例えばパナソニックの松下幸之助さんとかテスラモーターのイーロン・マスクさんとかそういう方々の話を本で読む事や、動画で見たりするのも良いと思います。彼らも同じ人間ですので出来ないと思うのではなくてそういう世界に自分も行ってみたいと大きく志を広げてほしいです。じゃあ自分がその志を広げたら、それを実現するために自分は何したらいいんだろうと逆算で物事を考えるとそのために必要なスキル、そのために必要な職業って何なのかとかそのように色々と考えていけると思います。
そして、世界を広げていくと当然、優秀な方や自分よりすごい方と出会います。そこで「すごい」と諦めるんではなくて、最初は誰も出来ないんです。だけど最初は出来ないけど、次には出来るようになっていると思ってやっていきます。その代わりそれにはすごく努力をしないといけないので、自分の志をぜひ毎日見てほしいと思います。なりたい姿をわざわざ大きくデッサンで描いて、その描いたものに色々絵を入れていって視覚化すると良いです。どんどん自分のビジョンを明確にしながら失敗してもそこを目指すんだという強い気持ちで頑張っていく事ですね。そこには手を差し伸べてくれる人が必ず現れてきます。
青木:会社とか入ると自分の事を全く認めてくれない上司とか、本当に理不尽な事はいっぱいありますけども、それにめげる事なく、自分の志に向かって前進していただきたいと思っています。
青木:今回、上村さんがこういう機会を作っておられますが、いろんな魅力的な大人が紹介されると聞いています。ぜひそういうところに積極的に参加すると1つでも2つでも得るものがあるんじゃないかと思います。
青木:全部を真似する必要ないんですけどね。この人いいなとか、この人の話は参考になると思ったらその人にもっと話を聞く事や、その人がお勧めする本があったらそれを読むと良いと思います。心理学の分野で代理体験というのがありますけども、まだ自分は体験してないけど、人の本を読む事や、人の体験を聞く事によって、自分もそれを代理で出来たような感覚になります。その出来たような気持ちが、またその意図の可能性を広げる事になります。ぜひ自分の可能性に期待して前進していただきたいと思います。またどこかのステージでご一緒したいと思いますので、その際はよろしくお願いします。
上村:いいですね。代理体験の話もありましたけど、私も心理学・脳科学を少し勉強しましたが、脳は現実とイメージした事とを区別出来ないという特性があるので、そういった他の方の成功体験を頭の中にイメージする事は脳に現実と錯覚させるので効果があるという話を思い出しました。本当にイメージする事は大切だと思います。
上村:ありがとうございます。青木さん仰ってくださったように、この人に会いたいと思ったらその人に話を聞く事や直接アクセスする事をどんどんしてもらいたいと思っています。
上村:今このようにインタビューさせていただく活動をしておりますが、どんどんインタビューも増えていけば、この人に会いたい、あの人に会いたいと思った時に私が仲介、紹介を出来るようにしたいと思っていましたが、より早く実現しようと思いました。
青木:いいじゃないですか。
志~一緒に大きな事を成し遂げる~
上村:先ほど、最後の質問と言いましたが、すみません。本当に最後の質問ですが、本日の青木さんの話の中で、「志」という言葉を使われていましたが、青木さんの「志」はどういうものでしょうか?
青木:僕の志というのは、「人を活かして、ビジョン達成をサポートする」ことです。「コアな強みを引き出し活かす事でビジョン達成に貢献する会社」という私の経営理念があります。その経営理念に基づきながら人や会社の可能性を拡げることができればと思っています。
それの実現が僕の大きな志です。それで今、人を活かすとお話をさせていただきましたけど、も、人というのが最大の経営資源だと思っていますので会社にいる人を活かしたいと思いますし、先ほどお話にあったような若い方々を活かして、その方々と一緒に大きな事を成すのが僕の志です。
上村:私も青木さんと同じステージでご一緒出来るように頑張ります。私も企業様、そしてお一人お一人のビジョンの達成という志に共感しておりますので、一緒に大きな事を成し得られるようになりたいと思います。
青木:僕ももう一段ステージ上がらないといけないとは思っています。今もこのようにご一緒させていただく機会がありますけど、一緒に仕事したいなと思っています。
上村:嬉しいお言葉です。本日はお時間いただきましてありがとうございました。
インタビューを通して
私が初めて青木さんにお会いしたのは2018年の秋頃でした。私は中小企業診断士1年目で大阪府の中小企業診断士協会が主催している合格2年以内の診断士のイベントで登壇いただき、お話をうかがった事が出会いでした。その際の懇親会でまさかのご近所さんという事を知り、記憶を遡ってみると、私が2016年から2017年にかけて中小企業診断士の勉強をしていた時に毎日通っていたカフェがあるのですが、いつもカフェで仕事や勉強をされているメンバーが数名いたのですが、その時に拝見していた方と2018年の懇親会で目の前にいる方と顔が一致したという驚きの出会いでした。
その際にも本日のインタビューで聞いたお話もありましたが、青木さんのお話は非常にインパクトがありました。私は青木さんは「努力の才能」の人だと勝手ながら思っております。人より能力が劣っているからと謙遜されていますが、自分の現状と理想とのギャップを明確にして、そのために必要な事であればはたから見ると言葉は悪いですが異常なほど愚直に取り込まれる姿勢は真似の出来ない才能だと思います。
ストイックでご活躍もされているにも関わらず、非常に謙虚で物腰の柔らかいところもがあり、成功するための要素として当たり前かもしれませんが「努力」と「謙虚」という2つが必要なのだと思いました。逆に考えると「努力」と「謙虚」の姿勢で進んでいくと必ず成功するのではないかと思いました。そしてその努力をするにも自身の「ビジョン」を明確にする大切さを実感したインタビューでした。
青木さんが描いておられる次のステージ、そのステージに立たれる時にお近くでご一緒出来るように努力と謙虚を忘れずに精進しようと思います。
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