お名前:奈須 伸也(なす しんや)
職業:株式会社SIN 代表取締役
出身:宮崎県出身
生年月日:1987年生まれ
<自己紹介>
高校卒業後、18歳から3年間建設会社でとび職として働く。21歳で住宅販売会社に転職したが結果が出ずに悩む。営業セオリーを学び実践したところ、たちまち年間ノルマを4ヶ月で突破。お客様に即決させ、売上3倍、1年でトップセールスに。社内に営業セオリーを広め、会社全体の売上アップに貢献。入社4年目の25歳で支店長に抜擢される。イチ営業マンからトップセールスになり、社会的信用を構築、時価5億円の不動産資産を形成。30歳になった2017年、独立して不動産販売会社経営も成功。不動産再販事業、経営サポート事業、法務サポート事業などを手掛ける。経営コンサルタント、セールスコンサルタントとして営業セオリーを全国へ広める。
高校を卒業してから勉強して道を開く
上村:よろしくお願いいたします。それでは今のお仕事について自己紹介いただけますでしょうか。
奈須:tiktokでも自身のストーリーを動画にして公開しているのでそちらもご覧になられると分かりやすいかもしれないです。70万回再生して結構バズったの宜しければ見てみてください。それが一番分かりやすいと思います。
奈須:言葉でもご説明させてもらいますね。
今は株式会社SINという名前で不動産事業の会社を経営しています。
業務としては不動産事業と行政書士業務とコンサル事業の3事業をやっています。
不動産に関しては、不動産の買い取りをして中古住宅等の不動産の買い取りをしてリフォームして販売したりとか、新築を建て売りしたりとか、あとは不動産の売買の仲介とかをメインでやっています。コンサル事業に関してはこれからキャッシュフローコーチのメソッドを生かしての伴走支援をしていく段階です。基本的に、スポット的な依頼は対応しておらず継続的な顧問契約のみで対応しております。行政書士は般的な行政書士業務で建設業許可とか法務相談をおこなっています。
上村:現在は雇用されておられるのでしょうか?
奈須:現在4名雇用しております。
上村:そうなんですね。開業はいつされたのですか?
奈須:6年前の2017年です。30歳の誕生日の時に設立しました。
上村:そうなんですね。そこに至るまでの経緯を教えていただけますか?
奈須;はい。僕の場合は30歳で独立するというのは21歳の時に決めていたんです。だから予定通りだったんです。元々がものすごく貧乏な家庭で育って、私自身の学生時代は飛び抜けたヤンキーではないけど不良グループみたいな立ち位置ではいたのかと思います。それから高校は工業高校の電気科だったんですが、卒業して県外の電気関係の会社に就職したんですけど、3ヶ月でやめて地元の宮崎に戻ってきました。それで、地元の友達はみんな学校行ってない人ばっかりで、とび職で勤めている友達が多かったからとりあえず自分もそこで一緒に働いていました。そこに3年ぐらい勤めて21歳くらいにの年に辞めたんですけど、18か19歳の時に成功哲学の本にたまたま出会ったんですよ。
上村:何という本ですか?
奈須:最初に読んだ本は「道は開ける」という本でした。カーネギーではなくて山崎拓巳さんという方の本です。それに最初に出会ったのがターニングポイントでした。とび職で悶々としていた時だったんで、とにかくなんか「道が開ける」という言葉が目に入ってきて道が開けたらいいなと思って今まで本とか読んだ事とか無かったんですけど、その本を読んだらめちゃくちゃハマったんです。この前、上村さんと同じ学びの場でも聞いた「蚤の話」とかも話の中にありました。色々となるほどと思う事が沢山ありました。それと同時に僕はお金でとにかく苦労してきたんで、お金の勉強をしなくちゃいけないという気持ちがあったんでやっぱり年金、税金、不動産、金融商品、相続とか知らない事ばかりだったので、とにかくお金に関することを勉強するために、ファイナンシャルプランの勉強始めたんです。
上村:それは18歳の時からですか?
奈須;はい。とび職をしながらですね。ただ、基礎学力も何もなかったので、言葉の意味が分からないんでまずはノートに漢字を書いて辞書で調べて意味を書くところから始めるところからでした。
朝五時に起きて勉強して、夜帰ってきて、また夜も勉強してという生活でした。
その時の勉強っていうのはFPの勉強と自己啓発の本を読むということをやっていました。
上村:とび職になられてすぐに問題意識が出てきて勉強を始めたという事でしょうか?
奈須:そうです。とび職の10年先の先輩、18歳の時だと28歳ですね。それより上の今の自分くらいの歳の35歳の人たちでも給料があんまり変わらないんですよ。日当何千円という世界なんですよね。当時、一日働いて8,000円とか9,000円とかみんなそれくらいなんですよ。結局歳をとっていくと体力も衰えていきますし、その時の先輩たちの会話の内容がギャンブルの話や女遊びの話や、そんな良くない話ばっかりが日常の会話で10年後もこんな会話したくないなと思っていたんです。
上村:この世界に留まりたくない、こんな世界は嫌だと違和感を覚えて本を読んだり行動に移されたのはなぜなんでしょうか?
奈須:まずは根底にあるのが貧乏で育ったので金持ちになりたいというのがありました。
せっかく自分が18歳から社会人として働いていて給料も少ないながらもらうわけですけどその給料は未払い税金の滞納の支払いとか親の後始末に消えていくんですよ。それから小学校の頃から僕は保険証っていうのを持ってなかったんです。だから病院に行けないんですよ。社会人になるまで親と旅行に行った思い出も1回もないし、外食に行ったのも一回だけ昼ご飯食べに外食した記憶が1回あるだけです。それぐらい家族の思い出とかもなくて、あるのは夫婦喧嘩や借金の取り立ての電話がかかってくるから夜になったら電話を出たらいけないみたいな記憶ばかりです。そういう喧嘩ばかりの中で育っていたんで、とにかくお金で苦労はしたくない。豊かになりたいという事で、将来は独立しようと思っていました。何をするとかは決まっていませんでした。何をしたいとかはとにかく何でもよかったんです。たまたまその時は飛び職で働いていたのでとび職で独立しようと思い立ったのが最初です。その時の社長がすごく立派なお金持ちの成功者に見えたので、こんな人になろうという事を思ったのと同時に、先ほども話ましたが、お金の勉強をしておかないといけないと思ってFPの勉強を始めたんですけど、当時15年くらい前ってFPってまだあんまり知られてなくてファイナンシャルプランと言っても特にこういう業種の人はほとんど知っている人いなかったですね。
上村:なるほど。確かにそうかもしれないですね。
独立して成功するために営業力を磨いた日々
奈須:それから勉強して、何回も落ちたんですけど、21歳の時にやっと2級まで取れて、それでそれを活かした仕事で独立しようと思って住宅関係に行く事にしたんです。そのきっかけが「自分独立します」って社長に話したら反対された事から始まりました。「独立しても食べていけんぞ。自分の食べていくためには、営業力がないと食っていけんぞ。でも営業力があればどんな世界でも食っていけるぞ」と言われたんですよ。営業はしたくないというのはあったんです。言葉悪いですが、当時は「あんなの馬鹿がするもんだ。営業はペコペコ頭下げて、ダサい大人がする仕事だ」というイメージを持っていたんです。だけど、社長が営業という事を言うから、「営業かぁ…営業はなるべくしたくないなぁ」と思って。だけど、そこを避けては通れないと思ったんで一旦とび職をやめてFPの仕事を活かせる資格を生かせる営業という事で金融関係とか不動産関係、住宅関係に面接を受けたんですけど、当然受からないんですよね。採用条件が大卒以上とか中途採用だったら営業経験二年以上とかなので、私は要件を満たさないんですよ。だけど落ちても、また次の日にもう一回受けさせてもらえませんか?とか電話したりしていたんですよ。
そんな事をしてたまたま拾ってくれた住宅会社の面接の時に「宅建の資格を取ります」と約束をして採用してもらいました。それでなんとか資格も取って働く事が出来たのはいいんですけど、営業の世界に入ったら資格なんて何の役にも立たないんですよ。
上村:そうですよね。
奈須:大卒も関係ない。資格も関係ない。契約を取ってくる人が一番偉いんですよ。それでその厳しい現実の中で、3カ月以内に一等の新築の住宅工事を取る事を条件にして入ったんですよ。僕、敬語も使えない、ビジネスマナーも知らない、ネクタイの結び方も知らなければ、名刺の渡し方も知らないので非常に困ったんですけど、周りのこんな大人には負けないというのはどこかにあったんです。
上村:こんな大人っていうのは、会社の周りの同僚や先輩には負けないぞという事ですか?
奈須:そうです。こんな人たちに負けるはずはないという気持ちがあったんです。だけど、現実はそうはいかないですよね。そこで、なんとかは毎日毎日やっとの思いで仕事をこなしていたんですけど、ある時このまま毎回毎回ノルマに追われて、実力ではなくてギリギリで何とか運良く達成していく状態だともう続かない、もうやばいと思ったんです。そこで、もうなけなしの全財産、多分30万から50万ぐらいでした。それを全部使って営業の勉強したんですよ。仕事の営業中も家に帰っても勉強をして、とにかくこの営業できない状態で営業をおこなってもしょうがないと思ったので、まずはもう勉強しようと思いました。
営業の本や、教材、講習等でとにかく勉強して、繰り返し繰り返し繰り返し聞いて、繰り返し読んで、そっくりそのまんまやってみようと思いました。その人がそれでうまくいくって言っているんだったらそのままやってみようと思ってやりました。それを信じてそのまんまやったらそのまま結果が出たんですよ。そこからすぐ売れるようになりました。
僕、この住宅業界に21歳で入っているんですよ。よく考えたら分かると思うんですけど、20代前半の人間が自分の親ぐらいの40代、50代に家を売るわけですよ。
自分が家を建てたことないような若造から家買うわけないじゃないですか。
上村:確かにそうですね。
奈須:そういうので結構馬鹿にされたり、なめられたりしたんですよ。
質問を聞かれても答えられない事も多かったです。家の事はまだいいんですけど、家に付随することとか聞かれても経験したことない事だから分からないんですね。
後々のアフターメンテナンスのこととか、火災保険の事、税金の事、色々な事を聞かれても分かりませんでした。近い世代の人が買いに来てくれたらなんとかかんとか共通の知り合いの先輩の名前を出したりとかして何とか上手くいく事もあったんですけど、40代、50代の公務員とかお堅い方たちが来たらもう話合わないんで上手くいかなかったんです。だけど営業の勉強をしてからはみんな一緒です、誰が来ようが、男性だろうが女性だろう、苦手な職種の人だろうが、苦手な年齢の人だろうが、誰が来ても売れるという状態になりました。そしてそれがすごく自信になって、若さは僕の欠点だったのが若さが武器に変わったんですよ。
上村:なるほど。
奈須:それで25歳の時はもう支店長なんですよ。営業として全体でNo.1になって25歳で支店長になって年収も1,000万以上あって、お客さんの質問も何を聞かれても答えられるようになりました。
家を建てる事に反対しているご両親がいるお客様に「ご両親を連れてきてください」と言って、それでご両親に説教したりしていたんですよ。
「いや、お父さん、お母さん、本当に娘さん、息子さんたちのことを真剣に考えてあげているんだったら背中を押してあげてくださいよ。ご本人たちは今からそういう風にして自分たちの人生を歩もうとして、自分たちの責任と覚悟でマイホームを作って、それでようやく一家の大黒柱として家族を守っていこうというふうにされていますよね。お父さん、息子さんのこと心配なのは分かりますけど、本当に応援してあげたいのだったら、ぜひ背中を押してあげてくださいよ」と言ったりしていました。「息子さん。お父さんに反対されてどうなりますか?殴られますか?殴られるなら、じゃあ殴られてあげてください。奥さんお子さんの事を考えたら、一発、殴られて怒られて、それが何ですか?やってあげてください」と息子さん達にも言ったりするぐらい、自分に自信を持って営業していたんですね。
まずは真似から。徹底的に「トーク」を覚えた営業時代
上村:今のような台詞は、最初は真似から始まったんですか?
奈須:真似です。基本は自分のオリジナルなんてないですよ。
上村:そうですか。その真似から成功体験を積んでいくとパターン出来てきて、真似からオリジナルが入ってくる感じでしょうか?
奈須:その通りです。いきなり僕が生み出した物なんてまずないです。
僕も最近営業の教育をしている中で成果が出る人と出ない人がいる事を感じています。講師の方から営業の講座を受けて「アウトプットが先。インプットが後」とか言葉もありましたが、まず哲学から学ぼうとしたら駄目なんですよ。何が必要かというと「トーク」なんです。この通りに言うっていう「トーク」がまずは欲しいんですよ。哲学は後からついてくるというのが僕の考えです。だから営業の最初の前置きトークを習ったらそっくりそのまんま文字起こしをして、そのまんま言うところから自分のものになってアレンジや応用が出来るようになっていくので、仕事を取るためにはまずはそのまんま真似をする方が早いです。
上村:奈須さんはそれで結果を出されていますしね。
奈須:行動が先でいいんですよ。この人はどうかな?哲学はこうかな?これがこうかな?とか色々と考えていたら動けなくて、考えだけは深まっていくんですけど、行動に結びつかないですよね。それだったら何も考えず、「このトークだけ覚えて行って来い」と言われて「わかりました」と言って、そのトークの通り話して、それで上手くいかないところだけを真剣に悩んだ方が早いんですよ。
僕が部下を教えていた時も一緒で、ロールプレイをやるんです。ロープレって僕、最初にロープレを全員の前でさせられて大恥かいたことあるんですよ。もう汗が出て、顔も真っ赤になって、言葉が出てこなくなったんですよ。みんなにすごく駄目な自分を見られて、それがトラウマになったんですが、成績が出始めてからは僕がみんなの前でロープレを見せるようになりました。自分がどんな風に話しているかをみんなに包み隠さず見せてあげてネタをバラしてあげました。だけど、そのままそれを覚えられないんですよね。次は覚えられないから奈須さんはすごい、あれは奈須さんにしかできないって思うんですよ。でも本当は違うんです。僕も努力してトークを覚えているだけなんですよ。
上村:なるほど。
スキルと哲学
奈須:そうやって体でトークを覚えて実践していった後で技術、テクニックを改めて学んでいくとすごく覚えが早いんですけど、みんな哲学とか考え方から行くから刺さる武器がないんで、実践で使えないんですよね。だから本当に「僕の言っているこの通りにやってきてください」と言った部下はみんなすぐに契約取れるんですよ。
「住宅は即決で売る事が出来るんですよ」と言ってもみんなそう思わないんですよ。
これがいわゆるセルフイメージの再構築と言われているところで、頭で分かっているけど心の中で落ちていないのでできないんですよ。本当にできるんですか?と自分の中で落ちていないと実現しないんですよ。例えば私達が住んでいる宮崎県や奈良県だったらコンサルでも東京くらいのフィーは出せないかもしれないですが、「絶対そのフィーで出来るんでその通り言ってください、迷わず本来の勝ちの金額を堂々と提示してください。失敗してもいいから提示してください。」いうコーチみたいな存在がいないと中々出来ないんですよ。
自分で勝手に。「ここはこれくらいの金額が妥当かな」とかやっぱり弱気になってしまうんです。でも違うです。そこは自分の提示している価格に自身を持って強気に行くんです。
僕はそういう店長だったんで、部下にそうやって言っていたんですよ。部下がお客さんから「都合が悪くなったので面談のお断りがありました」と言ってきても「いやいや、それで分かりましたって言ったら駄目だよ。来週に伸ばしたらもう取れなくなるよ。何と言われようが、お時間取らせませんから、今すぐ会ってくださいって言って」とか言うと「お客さんに怒られますよ」とか言うんですが、最終的には「契約できました」みたいな事もあるんですよ。そんな感じで僕がこういう通りにやりなさいという方が結果が早く出る事が多かったです。
トークと同時にやっぱ哲学がないといけないというのもあります。
僕はお金貯めていって所得を上げていって、30歳までに僕はここまで借り入れを作って不動産を購入しようという金額があったんですよ。独立した後に飯が食っていけないんじゃ話にならないのでしっかりした最低限の収入を確保しておきたかったんですね。
だけど、働くのに、自分の労働時間を例えば1日8時間かけて月に30万円得るよりも、時間をかけずに30万円入るにはどうしたら良いかと考えると不動産しかなかったんですよ。
だから、不動産の収入を作って、それで独立しようって決めていたんで、まず30歳までに大きな金額目標を立てたんですが、結局、半分しかいきませんでした。だけどそれで個人で新築のマンションを作ったり、戸建ての家を買ったり、中古物件買ったりして、それを貸したりして25歳の時には支店長なっていたし、自分の親に35年のローン組んで家を作って、その次に年に結婚するんですけど、先に自分の住宅ローンのチケットを親に渡しているんで、奥さんとそのお子さんとの家はないんですよ。でも根拠のない自信はありました。実際それでまた作る事が出来ましたし、新築も五件ぐらい作って、マンションも2棟作って今、3棟目をまた作っています。子供がまた生まれるんで子どもの名前で作ってあげているところです。そんなふうにしてまず不動産の収入を作ってそこから独立して今に至っています。
上村:ありがとうございます。18歳でとび職をされ、21歳から住宅業界で働かれて、25歳で店長になられたと。21歳で住宅会社に就職されたタイミングから、「ここの会社で上に行くんじゃなくて最終的には独立しよう」と思っていたんですよね。
奈須:そうですね。営業がないと食っていけないととび職時代に言われたので、営業をマスターするというミッションで入りました。
営業としての哲学、人生としての哲学
上村:そういう事ですね。先ほどの話の中で「トーク」が欲しいという話がありました。行動が先でそれから哲学や、あり方もついてくるという話がありました。奈須さん自身は哲学とかあり方はどのタイミングでどのように得ていかれたのでしょうか?
奈須:ここで言う哲学というのは、ちょっと違う話かもしれないですけど、先ほど営業マンってしつこいと思われるとか、そういう下からお願いするみたいなのが営業マンというイメージなんですよという話をしたかと思いますが、ここで言う「哲学・あり方」というのは「違うよ。営業マンはペコペコ頭下げる仕事じゃないよ。素晴らしい仕事だよ。相手のために必ず役になるものを教えてあげる、売っているが営業だよ」というそれもちょっと営業の考え方に入る。じゃないと強気でいけないんですよ。訪問する考え方もそうです。新規訪問する時も「なんか、うわっ営業マンが来たって思われないかな」とか弱気な及び腰じゃなくて堂々と玄関でも聞こえるか聞こえないかの挨拶をするんではなくて、奥まで聞こえるように安心をする。そうすると奥の人も感心するんですよ。堂々とした営業マンが来てしっかりとお話した方が逆に信用を得るんですよ。それを「いつでも帰りますよみたいな感じで中腰で弱々しく話すよりはしっかりと向き合って堂々と話す」というのも哲学、考え方なんです。
だけど結論から言うと、一見言っている事が矛盾しているんですけど、やっぱり哲学が先でもあるんですよね。哲学がないとそのトークをするところまでいかないんですよね。
コンサルの営業で僕が契約を十数社、全部訪問して取ったんですよ。その時も基本的に必ずあなたの役に立ちますという強い気持ちだけでした。その時は言っている中身は何もないんですよ。それもやっぱ自分を騙さないといけないんですよね。
上村:なるほど。「嘘から出たまこと」という言葉もありますが、まずそのセルフイメージになりきることによって自分自身もその姿に近づいていくみたいな感じなんですかね。
奈須:そうです。でもそれはそもそも何のためかって言ったら、やっぱ自分の目標とか夢とか生きる目的があるからなんです。僕の動機はお金持ちになりたいというものでした。
だけど、それだと上手くいかないことがやっぱ出てくるんですよ。それだけじゃいけないなと反省して、やっぱり関わるんだったらお金も大事だけど、今だったら相手にいかにプラスを与えて利益を与えて感謝されて、そしてすごく信用を持ってもらえてという事に重きを置けるようになるためには人格の向上とか本当にそれこそ哲学とかセットじゃないとスキルとかテクニックとか知識だけだったら浅い人間で終わってしまうので、人生としての哲学はやりながらついてきましたね。営業としては哲学ありきだけどトークは絶対大事と考えています。
上村:なるほど。そしたら今やりながら気づいていくという話でしたが、それはどのタイミングでしたか?
奈須:住宅会社の時は自分のために売っているんですよ。
上村:今までの話を聞いているとそう思えました。
奈須:結局、成績が上がっていく中で考え方だけ騙して、根本は自分のために売っているんです。ところが自分で会社を起こしたらそういうわけにはいかないんですよ。中途半端なものを売ってしまったら、お客さんは豊かな人生を送りたいと思って一生のローン組んで家を買う人もいるわけですから。万が一何か大変なことになってしまってそこで不便が出たら困るじゃないですか。だから僕は理念っていうのが大事だというふうになって、その理念が自分の意思決定の判断になるような理念を持とう思ったんですよ。
トラブルが起こった時に困るんですよ。例えば、中古物件を買ってリフォームして売るという仕事があった時に、リフォームにお金かけすぎると利益が減るから、リフォームはほどほどにして売ろうかと思ってしまった時に変な住宅に出会ったんです。外壁の中身が腐っているから塗装しただけじゃ根本的には解決にならないような物件だったんです。見た目は綺麗になるけど、その時に儲ければいい、バレなければ大丈夫と思って売る事も出来るんですよ。だけど自分が作っていた理念と照らし合わせて「いや、これは駄目だ」となるとお金がかかったとしてもちゃんと剝いだりして、そこを対処してそれでちゃんとしたものをお客さんに売る事を優先するという事が意思決定として判断できるんですよね。
やっぱ大きな理念がないと楽な方や、儲ける方向に流されるんですよね。だからこそ、絶対流されないために、基本的に理念を中心に動く事が大切ですね。理念は綺麗事でいいと思っているんですよ。僕は立派な人間ではないので、綺麗事を追いかけていくところからしか出来ないんですよ。だから哲学は後なんですよ。結局僕は最初から哲学があるわけじゃないんで。すみません、少し分かりづらいかもしれませんが。
上村:いえいえ、今お話を聞いて私なりに感じた事は、行動していたら色々な失敗もされて上手くいかなかたり、違和感を覚えた時にそういう哲学が自分にはまだ無かったとか、表面的なものだったと気付く事もあるし、他にもお客さんから感謝された時とかに喜びを感じ事から自分の事だけではなくて他者との関係性の中で大切な事にも気づいていくのかなと奈須さんの話を聞きながら思いましたね。
今後のビジョン~ロマンと算盤、経済的安定の土台がある中でのやりがい~
上村:今後の事について聞いていきたいのですが、21歳の時に30歳の事を思い描いていたという話でしたが、今、36歳で今後のビジョンはあったりするんですか?
奈須:僕は基本的に生活のために働くのは40歳までしかしないって決めているんですよ。それ以降は自分のやりがい、人の役に立てる事だけのために働くと決めています。生活をするために働かないといけないから働くっていうのはもう絶対しない。そのために今から逆算して考えています。例えば80歳まで生きたとして毎月50万の生活費がかかったとして残りの生涯でどれくらい必要なお金がかかるかっていうのがだいたい出てくるじゃないですか?その時にそれ以上のお金を稼ぐのは悪だと思っているんですよ。一生懸命、休みもなくて、夜も遅くまで朝も早くから働いて病気になりました。亡くなっちゃいましたってなったら、意味ないじゃないですか。今まで働いたのはロスだったってなるのが嫌なんで、それ以上は働かないと決めているんです。さらにそのお金をできるだけ40歳までに、無理なら45歳まで貯めようと思っています。逆算して僕が45歳までにいくらのお金を貯めて、そのお金を元手に運用すれば80歳まで生活できるというキャッシュフロー表をもう作っているんですよ。
会社としても作っていて、その結果。会社はそこまで拡大はしないでいようと思っています。拡大しても人がいないし、人材不足で悩むのも人の人間同士の関係で悩むのを嫌ですし、だから理想はやりがいのある仕事をして自分と従業員が食べていけるぐらい稼げればすごく幸せな人生かなと思っています。
上村:そうですね。自分が安定した状態でやりがいのある仕事が出来るのであれば無理に大きく会社の規模を大きくしなくても社会に価値を与えられるんですよね。そういう選択肢もありだなと思いました。
よくロマンが先かそろばんが先かみたいな話とかも言ったりしますけどお金も思いも両方大事だけども、やっぱお金があるからこそ、余裕を持って思いに力を入れられるというのはありますね。
奈須:そうですね。18歳の時から21歳ぐらいの時もそうなんですけど、現実と理想のギャップにものすごく苦しんだんですよ。僕はその時からメモ帳作っているんですよ。当時何歳までに何億円貯めるって書いて、会社名を書いて自分の写真を貼ったりして、自分の手帳作っているんですよ。そこにノウハウ的なものやいい言葉とか全部書いていました。
その時の志はものすごく高いのに、でも現実って俺ってこうだよね。貯金はないわ。仕事はとび職やわ。月給安いし、彼女と遊びにデートに行くにもガソリン代がない事を心配しながら車を運転しているわとか、車検が来たら車検代もないわ、そんな現実だからそこには苦しんだんですけどその代わりに夢はあったんで。
どんな辛い事があっても、これをクリアできれば夢に近づくって思っていたら苦しくはなかったですね。
上村:それは夢に近づいている感を感じていたからですか?
奈須:そうですね。ただ、30歳で独立してから35歳までの5年間はものすごくつまらなかったです。
上村:それはどうしてですか?
奈須:やる気が出ないというか燃え尽き症候群みたいな。
上村:30歳で一回目のゴールをクリアしたみたいなところがあったからですか?
奈須:とりあえず独立を果たしたんですけど、独立しているのに楽しくないんですよ。
上村:定量的な目標が無くなったからですか?
奈須:独立した時から5年間は会社の信用がなくなるからお金借りられないって思って、それ以前の時のような不動産を増やすという考え方は一旦捨てたんですよ。
まず会社でしっかり実績を作っていって会社でお金も借りられるようになってやっと最近、先月、銀行にお願いして融資通して会社でもお金を借りられるようになりましたが。
上村:お金を借りる事で、次の新しい目標、夢といった目指せる世界の姿が見えてくるという感じなんですかね。
奈須:そうですね。借金することに関してはすごくみんなシビアなんですけど、僕はものすごくそういう意味ではビビらない。それが逆張りと思ってるんですよ。みんながしないことをあえてやるっていうのが。
若い世代へのメッセージ~プライドなんていらない~
上村:なるほど。今の話もありましたけども、奈須さんは18歳の時に理想と現実のギャップに悩まれて、そして行動されたっていう話がありましたが、今の10代20代の方々抗しておいた方がいいというメッセージがあればいただいてもいいですか?
奈須:こうした方がいいですか。それぞれだとは思いますが、まぁ当たり前のことしか言えないんですけど、やるかやらないか迷ったり悩んだりするんだったら絶対やった方が後悔しないです。もう行動からしか生まれないんで。「こんなことを恥ずかしいよなぁ」と思っても、「だからなんですか?」と僕は思っています。本とか書けるような自分じゃないけど、「出版したいんですけど」とか言って出版社に電話とかしますし、お金とか借りられるか分からない段階で、マンションの業者に電話して「マンション作れますか?」って電話したりしていました。そういうわけ分からない行動をしていましたね。考えているぐらいだったらもうやった方がいいですね。
上村:確かに。それを止めているものって「恥ずかしさ」とかそんなもんなんでしょうね。
そんなんだったらやっちゃえよ。みたいなね。
奈須:その別に羞恥心とかプライドなんていらないんですよ。そんな立派な人間でもないのに。それがあると動けなくなるんですよ。もう「自分は経営者だから」とか「自分はコンサルだから」とかなるともう営業とかしにくくなりますよ。基本変な肩書きがない方が営業って出来ると思っています。恥ずかしさもなくなります。そこに肩書きがつくとできなくなってしまうんすよ。
だけど、年が経つにつれて怖いですよね。まだまだ若い方がチャレンジ出来やすいじゃないですか。
ただ若い人たちに言えるのって、僕らはお金はどうにでもなるんですけど、時間を買えないんですよ。そうなると若い時って時間あるんで必ず自分が蒔いた種は必ず良くも悪くも現実化していくと思うんで、それこそ、いい種まいて。その種というのは言葉でもいいんですよ。僕は嘘を先に言って現実にしてきた人なんで。僕一番下の末っ子なんですけど家族からは「またあいつが言ってるわ」と思われていましたが、僕はそれを現実にしてきたんでもう誰も何も言う人いないんですよ。「あんた、大丈夫か、そんな借金して」とか何する時でもよく言われるんですよ。でももう今は何も言われないですね。
上村:嘘か現実になっていくけど、その現実をちゃんと見せていくと周りももう何も言えなくなりますよね。
奈須:本当にブレーキを外してやりたいことを素直に全部書いて、それがもし叶うんだったら叶えたいじゃないですか?みんなあると思うんですよ。それを本当に信じるか信じないかと思うんですよ。いろんな歌手の歌とかでもそうなんですけど、信じることの大事さってみんな歌っているじゃないですか。ということは秘密があるんです。それだけ知っている人にしか分からない秘密が隠されているんですよ。だからよく思考は現実化するとか引き寄せの法則がとも言いますけど、絶対法則があるはずなんですよ。
上村:そうですね。私もそれは思います。
奈須:それだったら、いいものを引き寄せた方がいいですね。そして本はたくさん読んだ方がいいですね。
上村:最初18歳の時に本なんて全然読まなかったけど、どうしてその本に出会われたんですか?問題意識があってこのままではいけないと思って本を探そうというふうに思ったんですか?
奈須:そうです。本屋さんに行ってタイトル見ながら歩いていると、パッと「道は開ける」というのがたまたまその時に自分に響いただけなんですよ。それを見ながら資格の本のところに行ってファイナンシャルプランナーというのを見つけて、なんだこれ?となってそしたらお金のアドバイザーか、めっちゃいいなと。そんな感じですかね?
上村:なるほど。基本的にそこも行動を起こした事によって得られていますよね。
奈須:今はその行動がちょっと弱いなって反省はしていますけどね。
上村:私もこれからお客さんのところに営業に行ってくるんですけど、今日の話がとても響きました。あっという間の時間でした。ありがとうございました。
インタビューを通して
野口さんともコンサルタントの学びの場で2023年6月に出会いました。オンライン上でお会いしてお話をうかがいましたが、その際にも営業力のお話を聞かせていただき、ストイックな方という印象を受けましたが、その土台にあるものを知れた気がします。
あり方とやり方の議論は常に様々な場所で行われていますが、奈須さんのお話では「哲学」という言葉でお話されていました。営業トークだけでは駄目で、哲学もないといけないという事に「徹底的に真似る」事から始めていく中で気付かれたというお話もありました。
そして「どんな辛い事があっても、これをクリアできれば夢に近づくって思っていたら苦しくはなかった」という言葉が強い言葉だと思いました。しかし、夢という抽象的な言葉で終わらせずに、定量的な目標や映像化をして明確な形としてイメージされていた事や、その未来から逆算して「お金」という面でもしっかりと計算されている、まさにロマンと算盤の両輪で考えて実践する事の大切さを教えていただきました。お金の勉強も非常に大事です。(文責:上村 拓也 2023/10/6)
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