お名前:野口 荘史
現在のお仕事~Octo Eightの無限の可能性~
上村:野口さんよろしくお願いいたします。今されているお仕事も含めて、自己紹介をお願いします。
野口:九州は佐賀県の有田町というところで美容室経営をしております株式会社Octo Eightの野口と申します。美容室経営と美容師向けの経営コンサルの2本柱でやっています。
上村:よろしくお願いいたします。Octo Eightはどういう意味なんでしょうか?
野口:Octo Eightのオクトはタコのオクトパスからとっています。
エイトは数字の8ですね。僕はもともとプロボクシングのフライ級日本チャンピオンの斉藤清作さんという方が、引退後コメディアンになられるんですけど、その時の芸名がタコ八郎さんで、小学校の時に八郎さんをテレビのCMで見て衝撃を受けて、なんだこの面白い人っという感じで、そこが薄ら記憶に残っているんですけど、小学生の時はみんなドリフターズとかが好きだったんで、気持ちが少し志村けんさんとかに移っていきましたが、やはりタコ八郎さんのことを思い出して、色々調べたらとてもすごい人じゃないかっていうことが分かって、そこからもう大ファンになっていったという感じですね。
それでタコ八郎さんから名前を取ってOcto Eightという社名にしました。
でも後付けの意味付けも色々ありまして。タコってたくさん足があるじゃないですか。それでたくさんの足でチャンスを探して、たくさんの手で無限のチャンスをつかみ取るっていう意味も込めました。そして、その無限は数字の8を横にすると無限(∞)になるじゃないですか?そういう意味も込めています。
上村:色々と繋がっているんですね。お客様に対するメッセージはどのような事をお伝えされているのでしょうか?
野口:はい、現在、美容室経営して11年なるんですけど、最初の理念は「お客様の笑顔は私どもの最高の喜びです」というものでした。僕がもともと笑顔フェチだったので。
上村:なるほど、笑顔フェチだったんですね。
野口:たくさんのお客さんに笑顔になって帰ってもらいたい、そうすることに自分が一番満足できるという思いでした。そういった笑顔ってやっぱり楽しい時や嬉しいときじゃないと出ないので、そういった事をスタッフにも伝えながら一生懸命頑張っていました。それから今は「優しく・愉しく・美しく」という感じで髪や頭皮、お客様に優しい事とか楽しい事を提供するという事、それから美容室は美しくなるための場所なんで、それももちろん提供している。そういう感じの三本柱を大切にしながらやっています。
上村:なるほどね。ありがとうございます。素敵ですね。
美容業界へ踏み出したきっかけ~親の一言「理容師になったら東京いけるぞ」~
そしたら今の美容室経営を始められたのが11年前という事でしたが、今に至るまでの
10代頃からの経験から美容室経営を始められるまでのお話を聞かせていただけますか?
ちょっと経緯みたいなところ聞かせてもらっていいですか?
野口:18歳で高校卒業して上京して、まずは理容室で働きます。そこで世界チャンピオンの先生のもとで七年間修行します。
上村;佐賀県にお住まいという事でしたが生まれも佐賀だったんですか?
野口:そうです。生まれも育ちも佐賀県有田町です。
上村:高校卒業して、上京をされたと。その時も美容師を目指そうと思い、まずは理容室で働くという選択をされたのですか?
野口:それはですね、実は高校時代にパンクバンドにすごく影響を受けて、バンドをずっとやっていたんですけど、当時は、ギターとかベースとかボーカルとか色々メンバーであーだこうだ言いながらやっていました。そしてバンドをするんだったら東京だろうとか友達が言い出してじゃあみんなで東京行こうっという感じで上京しました。それで、私の親が理容師だったんですね。それで親に東京に行きたいって言ったら、本当に僕、全く勉強してなかったので「学」が無かってバンドとアルバイトとかばかりやっていたんで全然勉強ができなかったから東京の行き方さえも分からなかったですね。
それで行ってどうしたらいいのかということさえも分からなかったので、親に相談したら「理容師になれば東京に行けるぞ」って言われて、それなら理容師になると言って親はもう最初から理容師にさせるつもりで「あんまり勉強しなくていい。遊んどけ」とか言われて。
それでまんまとと親が引いたレールに乗って東京にまで行くんですけど、先ほども言いましたけど世界チャンピオンのお店だったらから本当にすごく厳しいんですね。
七年間寮に住んで、もう朝から晩まで合宿状態で毎日がそういう感じでした。コンテストもやらないといけないんですけど、コンテストやるには技術を磨かないといけないんです。そこでは技術はもちろんのこと、内面的な人間性も磨かないといけないんですよ。本当にスポーツのアスリートさんたちと同じで、そこまでしないと優勝まではたどり着けないんですね。そういう感じで人間力を鍛えたり、自分がインプットしたものを後輩にアウトプットして後輩に教える事、伝える事を学んだりとか、自分自身もそれによって技術とか様々な物事を理解していくという感じで育っていきまいた。本当に何回もやめたくはなりました。
上村:でも、7年間続けられたと。
野口:その続けられた理由がですね。最初も言ったんですけど、学がなかったので辞め方が分からなかったんですよ。どうやったら辞められるか分からなくて。
上村:それは辞めた後に次何が出来るかとか、転職をどうするかっていう意味ではなく「辞める」にはどうしたらいいか分からないという意味ですか?
野口:そうです。辞めるということが分からなかったです。同期や先輩など、みんないなくなっていくけど、どこ行ってるんだろう?と思っていました。逃げているんですね、あまりにも厳しいんで。そうやっていなくなっていくんですけど、どうやって辞めているんだろう?と思っていました。
それで、僕は先輩に「ちょっと辞めたいんですけど」って言ったら「アホなこと言うな」みたいな感じで言われて「すいません」という感じで辞め方が分からず続いていいたんです。でも、すごく尊敬する先輩とかがいて、師匠に対してもすごく尊敬していたので、やっぱり頑張れって言われたら「よし、もう一回頑張ってみよう」と思って、それで頑張ってコンテストでも賞を取っていくと「やっぱり頑張ってよかったな」という感じになって、だんだん辞めたいという気持ちはちょっとずつ技術が高まるにつれて無くなってきて3年目ぐらいの時にはもうこの仕事で頑張ろうという気持ちになりましたね。
上村:その時はバンドに対する思いはどうだったんですか?
野口:そこはですね、寮に入って、周りの情報が一切入ってこないような感じで休みの日ももうンテストの練習とかがあったので、バンドのバの字を言う暇も、考える暇もなかったんですね。
上村:動機としては東京行ったのもバンドで活躍するためだったんですよね?
野口:はい。先ほど言った通り、バンドをやるために東京に行くっていう事を親に伝えてそれなら、「床屋になったら東京行けるぞ」って言われて。親は「バンドができるぞ」とは一言も言ってないという事です。
上村;ほんとですね(笑)
野口:親には何回も文句を言ったんですけど、「俺はバンドができるとは言ってないぞ。東京に行けるとは言ったけど」と言われました。
上村:その時って学生時代に一緒にやっていたバンドのメンバーとではなくて東京に行ってバンドメンバーを探そうとしていたんですか?
野口:いえ、地元の一緒にやっていた仲間の中でずっと幼馴染だった子とまずは2人で先に出て後のメンバーは半年後ぐらいにきました。
上村:一緒に来られたんですね。でも、あの寮に入って全くできなくなって、メンバーとの関係はどうなったんですか?
野口:理容室が7年契約だったので、みんな僕の寮生活が終わるまで待っていてくれていました。その間は各自でバンド活動をやっているという感じです。
上村:そういうことでしたか、それで理容室でのお勤めは7年間と仰っていたのですね。先ほどの辞め方が分からないと仰っていたので最終的にどうやって辞められたのかなと思っていたのですが、契約を全うされて辞められたんですね。
野口:そうです。学校みたいな感じで卒業しました。卒業した後は独立するか、実家に戻って実家の家業を継ぐかという感じの選択肢しかないんですけど、僕はバンドがやりたいということを最後伝えて許してもらったという感じです。
上村:そうだったんですね。すみません、少し話を戻させていただいて、先ほど理容室で3年くらいの時にここで頑張ろうという話がありましたが、その3年目から辞める7年目までのお話を聞かせていただけますか?
野口:はい。1年上の先輩が一年後輩を育てるっていう仕組みになっているんですね。縦のラインで。だいたい五年目ぐらいになると、店長とかチーフ、副店長みたいな感じになるんですけど、ちょうど僕の1つ上の先輩がずっと僕を育ててくださって、どの先輩も世界大会出場したりとかしていました。その先輩のおかげで僕もジュニア部門なんですけど、世界大会に出場できるようになったりとかしました。それでその先輩と信頼関係のもとでやったんですけど、その先輩は僕が6年目の時にバイクの事故で亡くなったんです。
それで、その時その先輩が店長だったので亡くなられて僕が副店長をしていたので店長をすることになったんです。元々、人を引っ張っていくっていうタイプじゃなかったのでとにかくみんなで助け合っていきました。後輩もすごく僕を支えてくれたんです。それで、僕も後輩にしっかり仕事を教えてという感じで、残りの1年が特別成長させてもらったと思います。それで、先輩はとにかく遊びも一生懸命、仕事も一生懸命というタイプの方だったので、私もその先輩に対する思いがかなり強かったので卒業後もバンドをやりたいって師匠に伝えたんです。そしたら「3年間だけやりなさい。その代わり3年で実らなかったらまたこの仕事に戻りなさい」と言われたんです。その約束でバンドを続けていったという感じたんですね。
バンド期間~目標を立てて達成した3年間~
上村:そうだったんですね。それでは7年間の授業期間が終わってから、次はバンドに向き合った時期になってくるんですかね。
野口:そうなんです。
上村:なるほど。引き続きそちらの方の話も聞かせていただけますか?
野口:バンドをやっていた時は、まず目標を立てました。1000人規模のお客さんの前でステージに立つという事、ラジオに出る事、テレビに出る事、雑誌に出る事という感じで、メジャーデビューには興味はなかったんですけど何らかの形でこれをクリアしたいと思ってこういった目標を立てました。
それで、なんで1000人のお客さんの前に立ちたいと思ったのかというと当時ボストンからミュージシャンが来日してそのライブを見に行った時にちょうど1000人規模のライブハウスだったんです。そこでステージに登っちゃいけないんですけど、ガードマンの制止をかいくぐってステージに上ったんですね。
上村:やんちゃですね。それは何人かでそういう流れになって行ったんですか?それとも野口さん単独で行ったんですか?
野口:僕一人で行きました。そしたらそこのボーカルの人がガーッとつかんでくれて、「みんなで来い!」って言って、そこからみんなバーッとステージに上がっちゃったって感じでした。その時がすごい気持ちよかったんですよね。それで1000人規模にしました。一応3,4ぐらいバンドは結局続けたんですけど、すごく大きなイベント関係者の方に福岡でライブしたときにちょっと目にかけてもらって声をかけていただいて1000人規模のライブに出ないかみたいな感じでそこで言われたんです。
そのイベントが、当時はその業界パンク界では有名なイベントだったので雑誌にも出るし当時衛星放送のミュージックシャワーっていう番組にも出られて、ちょうどその福岡でライブした時に、福岡のラジオ局でラジオに出してもらっていう感じで、最後の最後でなんかどんどんと目標をクリアしたんです。そこでバンドはちょっと自分の中で思いっきりやれたなって感じになって、また理容師の方に戻る。
上村:師匠からは三年間の結果出なかったら戻ってこいと言う言葉がありましたけど、逆に野口さんは自分の中でも納得する結果を出したのに次のステップとしてもう一度理容師という道に戻られたんですね。その時、バンドの仲間たちはどうされたんですか?
野口:バンドはですね。解散はせずに活動は減らしながら続けています。
上村:なるほど、そうだったんですね
コンサルとの出会いと再び目標を立てて打ち込んだ日々
上村:それではバンドに打ち込んだ3年を経て、次はどうされたのですか?
野口:次はですね。ゼロからのスタートなので、自分も独立するときに勉強になると思って同期の子が理容室と美容室が合体したようなノンセックスなお店をやっていたのでそこで働きました。そして次の目標がそこの同期のお店を繁盛させるまではいるという事を立てました。
大体、美容師の生産性は一人あたまに対しての売り上げの数っていうのがだいたい70,80万ぐらい行くとすごいねという感じで、特に理容師だとすごいねっていう感じになるんですけど、そこを理容師でも月100万くらいを一人あたまで稼げるぐらいになるという目標を掲げてそこに立つまでに4年ぐらいかかったんですよ。もう、とにかく休みの日はもうほぼセミナーに行ったりして勉強してカット習ったり薬剤のこと習ったりとかして最初の2年間はもう全く休みなく、こういうことをやっていました。あとの2年間は、当時コンサルの方がたまたま営業に来られてで、なんか良さそうだからやってみようかっていう話になってやって、コンサルの先生にいろんなことを教えてもらって、それを実践していくと本当に売り上げがどんどん上がっていっていったんですね。そこでコンサルの仕事ってほんとすごいなって思ったんです。僕はコンサルのイメージがすごく良かったので僕もコンサルのような仕事をいつかして理容師さんや美容師さんに喜ばれるようなことをやりたいなっていうのを夢をそこで抱いたんですね。その夢はずっと抱えながらその後活動していくんですけど、大体、4年ぐらいで自分の目標が達成したんで、次はもう地元に帰ろうと思いました。そこで亡くなった先輩のお兄さんも同じ修行先だったのでそのお兄さんさんに相談したんです。そしたら「田舎と都会じゃ全然働き方違うから和歌山でちょっと2,3ヶ月勉強に来い」って言われました。それでちょうど僕もその亡くなった先輩のお墓の近くで仕事がしたいっていう気持ちがあったので、そこへ行きました。結局その和歌山には2年ぐらい勉強したんですけど、そこで2年間も技術も美容の仕事も学んで、その後地元に帰るっていう感じです。
上村;それが冒頭に仰っていた11年ぐらい前ってことですね。そこで11年前にご自身が地元で独立されたと。
野口:そうです。
上村:なるほど、ありがとうございます。
目標を自然と立てるようになった経緯と達成する秘訣
上村:今までの野口さんの半生を聞きながら2つほど聞きたい事があします。バンドの時、そして同期の方のお店で働かれた時もそうでしたが、常に、目標を立てられてきて、それを達成されてきた方だなと思いました。目標を常に立てるという事はいつから意識的にされだしたのでしょうか?きっかけなどがあったのでしょうか?
そしてもう1つは達成出来てきた秘訣というのは何なのかな?というのを聞きたいです。
野口:まず1つ目の質問ですが、これはですね、やはり修行期間のコンテストですね。
コンテストって最終的には優勝を目指していくので、そこに技術と心を磨いていく必要がありますが、常にコンテスト優勝という目標が目の前にある生活をずっと七年間やってきたんで、僕の中でその目標がないっていうと進みにくいんですよね。目標があることによって目標が高ければ高いほど、やっぱり練習量も増えるし、挫折も増えます。失敗はもちろんたくさんありました。なので、そこに目標に行けるまでのプロセスはそのコンテストで凄く学んだっていうのがあります。なので、なんかこう努力していくと、その時に必要な出会いがあるんですよ。自分に必要なことを教えてくれる言葉だったりとか、出来事だったりとか、前を向いて重ねて努力していくと、絶対そういう人が現れたり、物事は起きたりするんですね。そこを絶対見逃さないようにしていくっていうことですかね。
上村:先ほどのバンドのお話もイベントの関係者と出会って一気に目標が達成したという話もありましたね。そしたら2つ目の質問であった目標達成の秘訣というと自信の努力もありますが、その努力から発生する出会いというところもあるんですね。
野口:そうですね。
上村:もう1つ聞かせてください。先ほど、休みなく2年間動き続けたって話がありましたけど、それの原動力って何なんですか?
野口:土台作りですね。美容のこと全く分からなかったので基礎を固めないといけないっていうのがありました。家もそうですよね、基礎工事があって家が建ちますよね。最初に基礎をちゃんと学びなさいっていうのも師匠の教えだったので、そこの基礎固めをなるべく早いうちにする事、若ければ若いほどその基礎を早く固めておいた方がいいという事を7年間の修行期間の時に経験でもう培ってきたんで、とにかく早めにガッツリ深くしていこうっていう感じでした。
上村:なるほど、だからもう休みもなくとりあえず早く行きたい。そしてなぜ早くするかというと、目標を達成するためにということなんですね。
野口:そうですね。目標の達成が早まるんですよね。目標の達成が早まると、今度また違うことにチャレンジできるんでやりたいことが早く近くに寄ってくるという感じです。
上村:次の新しい世界に行けるってことなんですね。
もう1つの経営の柱、コンサルをはじめたきっかけ
上村:ありがとうございます。では次にもう1つのメインの事業である経営コンサルも始められたきっかけっていうのも教えてもらっていいですか?
野口:そうですね。経営コンサルを始めたきっかけは、やっぱり自分がそのコンサルの先生からいろんなことを学んで実践したことがすぐ結果につながったんですよね。
それと、自分が独立した時に「まだ今はちっぽけな美容室だけど、いつか絶対深い厚みのある美容師になるぞ」というのを目指してスタートしましたので、そのためには厚みがある、味がある人間というのはたくさん経験をされているはずだと思って、とにかくたくさんチャレンジをしていこうと思いました。もう失敗ありきで、失敗してもいいから、とにかくいろんなことをチャレンジしていこうと決めてやっていったんです。
師匠が奉仕の心っていうのが絶対忘れるなっていうことを習ったので、例えばスタッフと一緒にゴミ拾いをするんですけどそのゴミ拾いも毎週やってとにかくもう人が拾わないようなところに落ちているゴミとかをとにかく拾いまくっていこうとか、みんなが簡単に拾えるところよりもちゃんと見ないと気づかないゴミをどんどん拾っていこうとかそういうことを自分の中でやっていました。それといろんな技術を身につけてみて、とりあえずやってみて自分に合うかどうかやってみないと分からないのでやってみてこれがお客さんが喜ぶ技術なのかっていうのをずっとチャレンジしていました。お客さんがこれ嫌だとか、これすごく嬉しいとかもやっぱり失敗しないと正しいものが見つけられないのでとにかくまず失敗を恐れずにどんどんやっていくっていうのを10年間続けていったときに気がついたら自分は習う側だったのに、気がつくといろんな人に質問されるようになってきたんです。
後はマーケティングの勉強もしていたんですが、お客様がお客様に押し売りするんじゃなくて、お客様から欲しいと言っていただけるような活動をしないとダメだよねという事も学びました
そういったお客様が喜んでこれをください、これを売ってくださいって言っていただけるような技術だったり知識だったりっていうのを磨いていって行ったら気がついたら教えてくださいという感じで言われるようになって、コンサルのやり方というのを勉強始めたのがちょうどコロナ前ぐらいでした。
上村:なるほど、そういうニーズがあるんだというのを感じ取られて、それをしっかり提供するためにコンサルのところも勉強してやっていこうと。
野口:そうなんです。自分ではできるけど、これを人に教えるということはできなかったんです。質問されてもなんか答えたことは聞いた人がハテナマークになって、あれこれ僕なんかちゃんと答えられてないなと思って。それでコンサルのことをすごく勉強するようになりました。
上村:なるほど。それで今の二本柱のスタイルになっているんですね。
野口:そうですね。
ビジョン~厚みとは~
上村:野口さんの10年後とかのビジョンっていうのはどのような事をえがいていますか?
野口:10年後までは莫大すぎるんで5年後のビジョンは立てているんですけど、もっと今の美容師さんの価値を高めたいですね。美容師さんってものすごく朝から晩まで勉強して頑張っていて、技術も知識も人間的にも磨いて頑張ってこられた方ってめちゃめちゃ全国にたくさんいらっしゃるんですよ。朝早くから夜遅くまで拘束時間がとても長い間頑張っているのに美容師の価値があまり伝わってないというのが本当にもったいないなと思っていて、ちゃんと美容師の価値の伝え方を理解すれば、もっとあなたの技術はこんなにすごいことが起こっているんだってことを伝えられればと思っています。カットも簡単にみんな切っちゃていますけど、ものすごく考えて、計算して切っていて、本当に巧の技なんですよ。そこに至るまでに莫大な努力があるのに、なんでその努力や技術をお客さんに伝えないんだろうと思っているんです。そういったすごいことをやっているのを、もっと皆さんに知ってもらうということを、今これから活動しきたいと思っています。もっと美容師さんが若い人にも憧れの職業にまた戻れるようにしたいですね。これは見た目の憧れじゃなくて、深みのある憧れっていうところをいけるように、5年後、もしかしたら10年以上かかるかもしれないですけど、まず5年以内にきっかけというか、足がかりというのが見つけられたらいいなって思っています。
上村:今も「深み」という言葉がありましたけど、後「厚みのある美容師、味のある美容師」という言葉もありました。野口さんにとっての「厚みのある美容師」というのはどういう美容師さんなのでしょうか?
野口:厚みのある美容師さんはですね、動じないというか、いろんなハプニングに対応できる人。サロンワークをしているとやっぱり自分では想像しないことが起きたりするんですよ。でも、そこを焦らずにちゃんと対応できる事と、スタッフの若い子たちが失敗したとしても、そこをフォローできるようなドーンと構えたような人ですかね。そういったなんでも相談できるようなお兄ちゃん肌みたいな感じの美容師さんが僕の中で「厚みがある」と思っています。
上村:そういうのもおそらく今まで師匠や先輩といったたくさんの素晴らしい方々と出会われてきて感じてきた部分と野口さんご自身が培われてきた独自性みたいなところが混ざっていくとすごく厚みのある人になられるんだろうなと思いました。
野口:ありがとうございます。
メッセージ~失敗が大好物~
上村:改めてご自身のご経験から、今の10代、20代の方にメッセージをお願いしたいのですが。
野口:僕はさっきもチャレンジすることとか言っていたんですけど、僕、失敗が大好物なんですよ。なぜかというと、失敗すると絶対1つ以上の発見があるんです。もしかしたら2つ3つぐらいの発見が出てくる場合もあるんですね。でも皆さん失敗って一般的にはネガティブに考えがちなんですけど、よく考えると絶対発見1つ以上があるんで、ということはプラスになることが絶対起きているんですよ。失敗というのはマイナスじゃなくて、実はプラスなんですね。だから失敗は恐れずに失敗した方が次に目指すところに近づけるので、失敗は恐れずにどんどんやりたいことをやってみるっていうのが自分の人生も楽しくなるし周りの人を幸せになるきっかけにもなると思うので、失敗はしない方がいいよりも、どんどん失敗してどんどん自分の理想の形を見つけていただけるといいかなと思います。
上村:そうですね。今のお話聞いて「成功の反対は失敗ではなく何もしないこと」という言葉を思い出しました。そして失敗をたくさんした大人が厚みのある大人になるんだなと思いました。
野口:そんなそうですね。でもストイックにはなりすぎなくてもいいと思うんです。自分のできる範囲、楽しめる範囲でないと、やりすぎて沈んだり、心の病になったりしてもよくないんで。あまり気張り過ぎずにちょっと余裕を持った感じの進み方の方がいいかなとも思います。だけど、まあ失敗はポジティブな言葉だって思っていただくといいかなと思います。
上村:「失敗はポジティブ」いい言葉ですね。
最後のストイックの部分ですけど、確かに私も客観的には野口さんはストイックな方だというふうに思ったけども、仰ってくれたように、誰しもがストイックになる必要はないんですよね。思ったのは目標というものをしっかり持った時に結果として行動がストイックに見えるけれどもそれは自分が楽しくてやりたいかそう見えるという事なのかなと思いました。だから、本当に自分が楽しくできるためにも目標、そしてその先にある目的っていうのが必要なのだろうと思いました。
上村:いい時間をありがとうございました。また今後ともよろしくお願いします。
野口:ありがとうございます。こちらこそお願いいたします。
インタビューを通じて
野口さんともコンサルタントの学びの場で2023年6月に出会いました。オンラインでの関わりでしたがお話をしたらふんわりとしていてすごく謙虚な方という印象でしたが、話の内容を聞くと、かなりのご経験をされていてここでお話をされていた「厚み」というものを垣間見る事が出来ていた気がします。今回のインタビューを通して更に野口さんの内面にあるもの背景にあるものを感じることができました。
「目標を立てて達成する」と言ってもそれを達成するのは難しいという事を思っている人がたくさんいるのではないか?と思う中で、野口さんがお話されていた「新しい世界を見たい」というワクワクした思いは大切だなと思いました。
そして努力をしているといい出会いがある。そしてそれを見逃さないようにするという言葉にも共感でした。
誰しもが最初は全くの素人から始まる事でも努力を積み重ねていくと成長して成功する事が出来るというのを野口さんのストーリーから学ばせていただきました。厚みのある大人がたくさん増えていくと社会ももっと良くなるだろうと思います。(文責:上村拓也 2023/10/01)
コメント