現在のお仕事とそこに至るまでの経緯
お名前:数本 優(すもと ゆう)
<職業>
経営コンサルタント事務所エスモット 代表
<経歴>
大学卒業後、製造業の技術相談員兼研究開発職に従事。顧客の課題を解決できる設備や仕様の提案を実施。中小企業診断士の資格取得後、副業で経営支援をおこない、実践を積んだのちに独立。
現在はプロセスコンサルタントとして、業務課題をクライアントともに発見、課題解決に向けた提案をおこなっている。
<パラレルキャリア>
大阪府中小企業診断協会 青年部 代表
名張商工会議所青年部 R6年度副会長
川西梅が丘地区青年部 代表
地域学校共同活動コーディネーター
名張市消防団蔵持分団 副分団長
<その他活動>
名張シティプロモーションプロジェクト 参加
名張市制施行70周年記念モザイクアート実行委員会 委員長
<取得資格>
【ビジネス系】
中小企業診断士
理念実現パートナー®
企業内整理収納マネージャー
ビズストーム®認定インストラクター
MOS specialist
【健康系】
プロテインマイスター
メンタルヘルスマネージャー2級
プロパーソナルボディメイキング検定2級
健康経営エキスパートアドバイザー
<著書>
ふぞろいな合格答案12 共著
“応用数理Vol32 トポロジカルフローデータ解析 (TFDA) の社会的課題への適用” 共著
<自己紹介>
大学卒業後、中小企業在籍中に労働組合執行役員に抜擢され、経営者と直接対話する機会を得る。
また、同時に新製品開発を実施し、従来にない構造で生産能力を2倍に拡大した製品をリリースした。このような労働組合の経験と自身の従業員としての経験から、経営者と同じ視点で話をしつつ、現場サイドの考えを整え、経営者に伝えたいと思い、中小企業診断士の資格を取得。
その後、地元の経営者と対話をするうちに、一つの企業だけでなく、様々な経営者の助力となれるように独立を決意し、主に地元三重で活動をしている。 現在は経営顧問、セミナー講師、経営改善計画の策定など、幅広く経営者の支援を行う。
上村:お願いします。まずは現在のお仕事についてお話いただけますか?
数本:数本です。現在、三重県の名張市というところに住んでいます。元々大阪に住んでいたんですが小学2年生の時に引っ越してきました。大学時代や就職時には大阪にいたんですけど、また名張の方に戻ってきて今に至るという状態です。
自分の成長とともに名張の発展や移り変わりを見てきたという感じです。
仕事は現在、エスモットという屋号で中小企業診断士として中小企業の皆様の支援をおこなっています。
仕事の方も初めは大阪で勤めていました。製造業に携わることが多かったです。いわゆる技術職でした。研究開発でモノを生み出す仕事と、客さんの要望を聞いて仕様を決めるような仕事をしてきました。お客さんの要望を聞いて、表面上の仕様はもちろんの事、その裏側にあるのはなんだろうということを見出すような仕事でした。
ある時、仕様書の文言や数字では伝わらない事で、このようにした方がお客さんが望んでいることではないかと思った事があって、それでヒアリングして、内容を反映して真の解決策というのを導き出すのが好きになってきたという経験がありました。
そして現在に繋がる大きな出来事としてはその当時の会社に入ったときに半ば無理やり、労働組合に書記長という役付きの執行委員として入ったんですね
それで、何かよく分からないまま、毎月社長や経営層と話す機会が出来たんです。
上村:それは何歳ぐらいの時ですか?
数本:27~8歳くらいですかね。
それで、話の内容も数字の意味も分からないなぁみたいな感じだったんですけど、数年後、副組合長になった時に社長の考えている視座・視点と労働組合の視点がかけ離れているというふうに感じたんです。「あなた達、どうせ言っても分からないでしょう?」みたいな感じに僕は捉えられたんです。その時に「これじゃあかんな」と思って、何か勉強しようかなと思ったわけです。というのが今に繋がる1つの経緯です。
もう1つが当時の上司が経営にすごく関心の高い人だったんですけど。「この人いつか辞めるな」と思ったんです。その人が辞める前に自分から動かないと組織が大変なことになる!と思ってその時に勉強しておかないといけないと思ったんです。それでリーダーシップや、簿記であるとか勉強していました。それから一年くらい経って、「これだけでは取ったところで資格として弱いな」「社長と渡り合うには弱いな」と思いました。その時にビジネスの最高峰の資格って何だろう?というふうに調べていると中小企業診断士が出てきたんですよ。それで「これを取ろう」と思いました。
上村:なるほど。それは幾つくらいの時に?
数本:35歳ぐらいですかね。
それで運良く取れて、それから企業に二年間ぐらい勤めていたんですけれども、もっと自分の経営に関する知識とかやり方を特にこの名張という地域中心に広めていきたいなという思いが強くなって、退職して一年前の2022年に独立したというような流れです
上村:なるほど、今具体的にその独立でどういうお仕事されているんですか?
数本:顧問として企業さんに月一回訪問させてもらって、企業さんが抱える長期的な課題の解決方法、直近1ヶ月くらいの短期的な課題に対して解決策を一緒に考えたりしています。他にも工程そのもの自体の改善案を一緒に出していくようないわゆるプロセスコンサルタントみたいな事等も主軸にしてやっています。他には経営改善計画を策定や、整理整頓、健康経営等、様々なテーマでセミナー等もしています。
地元での活動~街と子どもへの思い~
上村:なるほど。先ほどの話の中で、自分の知識とかやり方を経営とかに関することを特に名張という地域で中心に伝えていきたいなと広めていきたいないうお話がありましたけれども、2点聞かせてください。
まず1点目ですが、それをご自身の当時お勤めの企業ではなくて独立してやろうと思ったところの理由やきっかけをもう少し詳しく聞かせてもらえますか?
そしてもう1点はそれを「名張を中心に」というところの思いについても詳しく聞かせてもらえますか?
数本:はい。まず1つ目の質問に対してですが、独立する前の副業をしていた時代に契約させてもらって今も契約していただいている企業さんがいるんです。
ある程度経った時に「困った時にいてくれて良かった」という言葉をいただいたんですね。
経営の事について何かあったときに話できるからいてくれて助かったという言葉を聞いた時に、独立というのを意識し始めたきっかけかなと思います。
上村:直接的な感謝の言葉や、自分が価値を提供できるっていうことの実感みたいなのがあったんですね。
数本:そうですね。そこが結構大きかったかなというふうに思います。
数本:2つ目の質問ですが、名張中心にというふうに考えたのは、名張ってベッドタウンなんですけど、結局田舎なんですよね。都会田舎(とかいなか)って言われている話も聞きます。
地方って経営に関する情報とかトレンドというのがこのインターネット全盛の時代であったとしても遅れているというのを感じたんです。
なので、そういう情報やトレンドを積極的に発信してくれる人がいた方が、地域の活性化につながってくるのでは?という思いがありました。あとは田舎の高校生の選択肢は名張を離れて大学に行くか、もしくは行かなかったら地元の企業で働くかみたいな感じなんです。今はちょっと変わっているかも知れませんが。だから、自分の本当にやりたい事を出来るという方法もあるんだよというのを伝えていきたいなっていうのを思っています。そしたら、どうしたらいいんだろうっていう思いがあって。それで例えば企業さんですね、特に人を取りたいけれどもどこから取ったらいいか分からないという企業さんもいれば、高校生の視点では嫌々望んでない仕事をするんだったら、せめて自分がしたいことって何だろう?みたいなのを考えた末に地元の企業に入社するとかいうようなことを伝えていきたいなと思っています。そういうところで地元にまずは着目したというような感じです。
上村:なるほど。具体的に地域での活動はどういうことされているんですか?
数本:地域の活動がここ一ヶ月とても増えてきているんです。
昔からやっている事としては消防団ですね。これはもう十年ぐらいやっていて気づいたら副分団長を務めています。あとは自分の住んでいる団地で防災防犯のアドバイザーをしています。自治会長は一年に一回変わるので知識とか経験の引き継ぎができないんですが、アドバイザーという職は変わらないので、「去年はこうだったよ」という事を伝えてアドバイスする役割です。あとはコロナ禍で地域内での繋がりが薄れてきたというのが正直あって、特に若い人同士のつながりが薄れてきていると感じているので、この地域だけの青年部を作ろうかなというふうに思っています。今申請をしているタイミングです。
上村:そうなんですね。どうして数本さんはその名張という地元に対して、そこまでする内発的動機ってなんなんですか?
数本:僕は名張で過ごしていて、まぁまぁ不便だけども、結構居心地がいいんですよね。
水も美味しいし、空気も澄んでいるし、住んでいてすごくいいところだなというのを大人になってから特に感じたんですね。それを子どもにも思ってほしい、が同じ感情を持ってほしいなっていうのがあります。あとは子供が自慢できる街にしたいなというふうに思っています。おそらく若い子は大学や就職となった時に県外に行く子も多いと思うんですよ。
その時に「名張出身やねん」「名張?それどこ??」じゃなくて、「あの名張から来たの!?」みたいな声が出るように街を活性化していきたいなっていうところが自分の中の動機付けですね。子供にええかっこしたいっていうのが根源かもしれません。
上村:なるほどね。次世代に繋げていく、恩送りのようなイメージを受けました。素敵ですね。
様々な役職を受けるようになったわけと巻き込む力
上村:先ほどの話を聞いてもう1つ質問をしたかったのは、私と数本さんは大阪府中小企業診断協会の青年部の運営として一緒に活動させていただいておりますが、その中で代表を務めていただいております。そして今のお話にあった消防団の副分団長、企業勤め時代の労働組合の副委員長といった色々な役をされており、更には地元地域の青年部を作るといった多くのコミュニティで結構なポジションをされておられて、大変ではないかな?と思うのですが、そこに手を挙げられたり、受けられたりされているのはどういう思いからなのでしょう?
数本:労働組合の時は正直よく分からず、言われたから受けた感じでした。でも頼まれたからやろうみたいな簡単な考えでした。ただ最近になってそういう役職に就いたり、自ら立ち上げたりというのは一つは私に手を挙げてくれることを望んでいるんだろうなという、いい表現か悪い表現か分からないですけども「空気を読んでいる」というところもあるんです。
空気を読んで、「じゃあ僕やります」という感じです。なので、主体的でありながら、受動的でもあるような、そんな微妙な感じが思い返せばありますね。
ただ、大阪府中小企業診断協会の青年部の代表をするときは、38歳の年でしたが、普通に過ごしても2年経ったら青年部を引退するというタイミングだったんですね。
※大阪府中小企業診断協会の青年部は40歳の歳で引退
その時に運営委員としてやるのと代表としてやるのってどちらが自分の人生にとって納得できるかなと思った時に、どうせなら代表をしてみようというふうに思ったんです。
運営委員はその前の2年間で経験していたので、やっていてもこの延長線上だろうっていうのが見えていました。だから一歩踏み出す経験をしないとつまらないかなと思って代表をやったんですね。
直近で言うと、地域の青年部の立ち上げをやろうというふうに思ったのは、やりたいという思いは皆さんあるのに、声を上げる人、声を上げるけど足を動かす人が中々いないなというふうに感じていたんですね。その中で行動が伴ってないと物事は動かないなと思っていて。
上村:そうですね。
数本:僕、残りの人生30年ぐらいの予定なんで。
上村:ちょっと早くないですか?
数本:絶対30年って決めているんですよ。そこからあとはラッキーゾーンみたいな。まぁ、そう決めていて、それなら自分の本当にやりたいことをゆっくりでもいいからやっていこうと思って、去年、青年部を立ち上げようと思いました。そこから、需要もあるという話を少し聞いたので、興味ある人を誘って発足委員会みたいなのを立てて作っていくという事をしていきました。そうやって、いろんな組織に所属しています。その組織から見て、この組織を継続や発展させる人にふさわしいんだろうな思われて指名してくれているんだろうな、みたいなところも少なからずあると思っています。人手不足というのも大いにあるとは思いますけどね。でも人手不足の中でも積極的に活動していたらそういう役職って来るんだろうなという気持ちで、話が来たらなるべく受けようというのはあります。
上村:今おっしゃっているように人には空気を読むっていうところは少なからずあるだろうと私も思うので共感しました。
でも物事をどう捉えて自分がそこでどう主体的に意味付けをするかが大事なんだなということを、数本さんの話を聞きながら思いました。
そして、発足委員を立ち上げなどをされて、巻き込む力がある方だなと思いました。「巻き込む」という事については意識されたりしています?
数本:自分自身ではいわゆる巻き込み力というか、微妙に違うかもしれないけどカリスマ性というのは全くないと思っています。巻き込み力というのは確かにあるのかもしれないです。というのは先ほど言ったように、付いてきてもらうような強烈な引っ張り力というのはあまり無いなと自覚しているんです。だからこそ「自分には助けがいる」というふうに思っているんですよ。絶対に一人では出来ないなという事があるので。組織においても他の人に助けてもらわないと組織として考えると成長できないという事もありますよね。だからこそ、今回の地域の青年部のような件でも興味を持ってくれている人を巻きこんでいっていますね。幸いながら共感してくれる人というのは必ずどこかにいると思っています。ただ、その共感してもらうというのも、日々自分自身がそういった言動や態度をしているから共感してくれているのかもと思っているので、日々相応しい行動をしている事で、いざという時に助けてくれるのかなというふうに思っています。
上村:おっしゃる通りだなと思います。ご自身がカリスマ性はないとおっしゃりながらもそういう役をたくさんされているのは皆さんが助けてくれるのは率先垂範の行動や共感性の高い関わり方をされているからだと近くで見ていて感じます。心理的安全性のあるリーダーは弱みをさらけ出す事の出来るリーダーだという研究結果等もありますが、数本さんにもそういう部分があるからかなと思いました。
数本:そうなんですかね。勤めていた時も得意分野というものが部下、しいては部署にはあるなと思っていました。例えば「この機械はこの人に絶対任せよう」とか自分が出来ることと出来ないことはきっちり把握しておいて、出来ないところ素直に後輩でも頼るようになっていきました。
チャレンジはつまみ食いの精神から
上村:そうでしたか。それともう1つ聞きたかったのが、数本さんは我々診断士界隈の中では筋トレキャラとか、整理整頓の専門家、健康経営、YouTubeでの発信など、色々と究めたり、関わっておられるなって思っているのですが、ご自身はどう捉えられているんでしょうか?何か意識されている事はあるんでしょうか?
数本:どうなんでしょうね?
上村:結構、思い立ったらポチっと心のボタンと物理的なボタン押してしまう人でしたっけ?
数本:まぁ、近いところがありますね。
数本:そうですね。興味があってタイミングがあえばつまみ食いをしてきたのかなと思いますね。
そしたら、どうしてそのつまみ食いをするかというところでいくと、なんか楽しそうと思うということは、自分が求めていることだからなのかなと思っていて、それで求めているんだったら一回ぐらいはチャレンジしてもいいのかなという思いでチャレンジして、それでチャレンジして自分が向いていないと思ったら辞めたらいいと考えているので、それが多趣味ということになっていったんですかね。自分では多趣味というほど多趣味ではないと思っていますが。
上村:そうなんですね。そしたら今私が挙げたものが目立っているだけという事なのかもしれないですね。発信が上手いという事なのかもしれませんね。
数本:色々とつまみ食いする中で毎月食べるようになってきたのが筋トレだったりしたみたいな感じですね。
チャレンジ精神が養われたきっかけと秘訣
上村:本日、数本さんの話を聞きながらチャレンジの大切さを感じていました。しかし、チャレンジをしようとしても怖くてできないという気持ちもあると思うんですけど、数本さんが今のようにチャレンジが出来るようになったのはいつくらいからなんでしょう?またチャレンジが怖いと思っている人たちに何かアドバイスをするとしたらなんとお伝えしますか?
数本:いつからでしょうね。30代に入ってからかもしれないです。
その時がちょうど名張引っ越してきたタイミングだったと思います。それでその時くらいに「道は開ける」というD・カーネギーの本を読んで結構人生が変わるぐらいの衝撃を受けたんです。元々、私はどちらかというとネガティブ思考の方なので、それではダメだなというふうに思ってはいたんです。しかしこの本を読んでから、やってみて失敗したらどうしようという思考ではなく、とりあえずやってみたらいいかな、それに対するリスクの大小はあると思うけど、そのリスクの大小が自分で受け止められる範囲であればやってみようかなという風に考えます。それが他人にまで悪影響を及ぼす可能性があるとなってくると、考えた方がいいと思いますけど。後は先ほどの話にもあったリスクを乗り越えた先に得られるものがどれだけあれば納得して進めるのかなというリスクに対するリターンみたいな考えがあるのかなと思うようになって、色々と興味のあることは試してみようというふうに思うようになりました。
上村:きっかけは本を読んだこと?
数本:それが強いかなと思います。元々少しずつそういう気持ちに変わってきたのかもしれませんが、読んでから意識的になったという感じです。
上村:自身の中で今の自分に対する不満や変えたいという思いがあって、その部分と本に書いてある内容がガチンと結びついた時に行動変容が起こるのかなと今、聞きながら思いました。そのあたりはどうですか?
数本:そうですね。悩みというか不満というか、そういうのがあったとは思いますが、どうして買ったかは全然覚えてないんです。たまたま立ち読みして買ったぐらいの感じではありました。
上村:私もそういった行動変容に繋がった本がありましたが、そういえば何がきっかけで買ったか覚えてないです。
数本:そうなんですよね。
数本:チャレンジしたいけどできなくて悩んでいる人に対してのメッセージですよね。一つは「目標を立てる事」と思います。リスクもあるけれども、自分が目指している目標につながっているんだというふうに思えると動けるようになってくると思います。目標の先に目的があって、より好ましいは目的を決めるとさらに動きやすくなるかなというふうには思います。
上村:なるほど。目的とか目標を立てるためのコツとかってありますか?
数本:コツですか、すごく大きな話になってくるんですけど、自分が死ぬまでにやり遂げたいことを決めることを私はしています。私の場合ですけど、自分が亡くなった時にどれだけ数多くの人に泣いてもらうかというところが命題なんです。いっぱいの人に来てもらっていっぱい泣いてもらって妻を困らせるというのが最大の最後の妻への嫌がらせをしたいです。
上村:嫌がらせという名の愛情ですね。いいですね。
数本:それだけ来てくれて泣いてくれたということはそれだけ人に感謝されて、その人たちのためになったと証明だというふうに思うので。
上村:今のお話を聞いて、目的や目標を立てて実現していくには未来を見る事が大事なのかなと思いました。ただ若い頃に未来をイメージするといっても、例えば、いい大学行っていい会社入っていい生活できたらなとか、そういう凝り固まったステレオタイプ的な未来しかイメージできなかったりもするのかなと思ったりするんですが、自分の目的・目標のモチベーションになるようなより良い未来を想像するためにはどうしたらいいんですかね?
数本:将来の夢って小学生の時ってすごく書けるじゃないですか。
上村:なんか書いていましたけど、全く今と結びついていない内容でした私は。
数本:去年、小学生相手に将来何になりたいみたいな話をしたんです。そしたら結構ちゃんと出てくるんです。
後ろの掲示板によく将来の夢ってみんな習字で書いてあるじゃないですか。それがどうして高校生とか大学生、大人になったら出来ないのだろというふうに思うと、現実を知ってきてしまうからだと思うんです。そしたら、その現実って何なのというのは、例えば学力かもしれないし、お金かもしれないし、距離が遠いとか地域的なもの、環境的なものかもしれません。
上村:そうだと思います。
数本:そういう事があるかもしれないですけど、制限されているフィルターが全部なくなったとしてした時に「本当にそれはやりたいことですか?」と問うところから始めたらいいのかなと思います。楽観過ぎるのはダメかもしれませんが、可能性は無限にあると思うと本当にしたかったことというのが出てくるかもしれないですね。
だから、僕もそういう未来のことを考えたりとかするんです。
ご存知かもしれないですけど。私も一旦、10年後までの未来を考えているんです。中にはこれは難しいなと思うこともあるんですけど、やってみたいなということを書くようにすると意外と自分の未来の目標・目的を決めていけますね。
上村:なるほど。子供の時って極端な例えでいくと「スーパーヒーローになりたい」とか「ウルトラマンになりたい」みたいな現実には出来ない夢を語ったりするけど、どうしてそんなことを言えるのかというと現実を知らないからなんですよね。でも考え方を変えると「可能性を信じているから」とも捉えられるのかなと思いました。時に子供の時の純粋な気持ちを思い出すというのがすごく大切かもと思いました。
数本:私も1年後のアクションプランを立てていて、そこに「市役所との連携」というのを書いています。それをたまに見ながら動いていると、名張シティプロモーションプロジェクトというものに参加させてもらって、そこで市役所とつながって活動できたという事がありました。それと今日の話なんですが、別のプロジェクトが立ち上がって、それにも委員長としてやることになりました。おかげで市役所の人にかなり顔が知れ渡ってきたというような状態になってきています。やはり書いたりするのはすごく良くて、実際に行動と結果が変わってくると思います。
今後のビジョンについてと書く事の意味
上村:そうですよね。今の数本さんの話の中で、「10年後の未来を考えている」という言葉がりましたが、今後、コンサルタントとして、そして名張に関わる人間として、また一人間としての十年後のビジョンってどういうものなんですか?
数本:十年後のビジョンはですね。いっぱいあるんですが、個人的なところで言うとジムや健康に関わる仕事というか、トレーニングをする人を応援するような場所を作りたいなというのを思っているんです。それがジム経営なのか、トレーニング施設なのかは、まだ分からないですが、集まれる場所というのを1つ作っておきたいなと思っています。プロテインバーとかでもいいんですけど。
上村:プロテインバー、面白そうですね。
数本:趣味を増やすっていうのも書いていますね。後は今出来ていないかったところでは旅行に行くとか美術館とか博物館巡りしたいなというのも書いています。
地域関係で言うと、名張の人口流入を流出よりも大きくするというのを目標に掲げてます。
上村:すごいですね。言語化されていますね、今、お話されていた事を達成出来たら数本さんはどうなっていくんでしょう?
数本:多分自分の性格上、また違う目標を立ててそうな気がします。これ10年後と書いていますけど、もしかすると7年後かもしれないですし、目標達成が早くなれば、次の3年後になる10年後の別の目標を立てているのかなっていうふうに思いますね。
それと今見ていると、書いてある傾向として二通りあって、一つは出来ていない事、まだ無いものを満たすというものと、もう一つはあるものをもっとより良くするみたいな二通りに分かれているなというふうに思いました。そして今無いからやりたいというものはどんどんなくなっていって、もっと変えていきたいという事が増えてくると思っています。
そしてこの目標達成したらいろんな人から応援されてそうな気はしますね。
上村:それこそ、最後に泣いている人たちがどんどん増えているんだろうなと思いました。そしてやはり書くことによって達成スピードもあがっていく気がしますね。
数本:そうですね。スピードは間違いなく上がるなって思いました。
上村:そうですよね。私も「今年達成する100の事」みたいな感じで、100個まではいきませんが、数十個挙げていますが、結構達成してきていますね。だから本当に言葉にするとスピードが上がっていって、達成も早くなるなというのは私も最近実感しています。
数本:そうですね。そういう事も伝えていきたいなというのはあるんですよね。
目標を決めて、それを細かく分けていって行動していたらまあまあ大概のことはできるんだよというような事は伝えていきたいですね。
若者へのメッセージ~「本当」の追求~
上村:伝えていきたいという言葉が今ありましたけど、改めて、高校生、大学生それから20代の若い社会人の年代に対してご自身の経験からのメッセージをお願いできますか?
数本:正直。僕達が学生だった時と今の子達の年代で言うと、今の子達って賢いと思うんですよね。いろいろできることも増えてきていると思います。選択肢も多いというふうに思っているんです。ネットが爆発的に普及しているというのもあるんですけど、だからこ本当にやりたい事とか本当に好きな事みたいな「本当」というのをいち早く見つけられるとその後の人生というのはすごく充実したものになってくるのではないかなと思うんですよね。
その本当のやりたい事いうのを、もしそれこそ本当か本当じゃないか分からなかったとしてもやってみて本当じゃなかったらさらに別のこと探したらいいと思います。それにもし本当にしたい事がったらそれを「やりたいんです」「やります」と宣言すると、助けてくれる人というのは結構多いんじゃないかなと思っているんですよね。
そういう協力者とかと一緒にやっていくと、実現していくのではないかなというふうに思います。
上村:本当にその通りだなと思います。因みに数本さんの「本当にしたい事」とは何なんですか?
数本:僕が本当にしたい事ですか。色々な人の笑顔を増やすことですね。
数本:なるほど。
数本:そうそう、経営コンサルタントしているのも、経営者さんだけを笑顔にするんじゃなくて従業員さんも笑顔にしたいですし、そこからそれぞれの人の家族も笑顔にできるんじゃないかなと思っています。もう1つは地域での活動もそうだなと思っています。
まぁ、明るく生きた方が楽しいじゃないですか。楽しんでいる人を増やすというのと、楽しめる場所を増やすというのもあるんですよね。ニュースとか見ても暗い話題ばかりなんで、楽しく生きたらいいのにっていうのはあります。
上村;たくさんの人たちの笑顔、その笑顔は数本さんにとってはどういう意味があるんですか。
数本:笑顔になるとポジティブになっていくじゃないですか。笑顔ってポジティブになっている状況を表現したものだと思っているんですよね。
ポジティブという感情や嬉しさが外に出ている状態だと思うんですよ。そして、その状態になってきたら、行動も活発にもなってくると思うんです。そういうふうな活発的になってくる人が増えたら、その人が持っている才能とかが形になって価値を提供できてくると思うんです。そういう人たちが増えていったら、地域が絶対良くなってくると思います。
そして地域が良くなってきたら、今度はそれぞれの都道府県が活発になってきて、そしたらもう日本が活発になるんじゃないか!みたいなそこまで大それた計画、そうなったらいいなっていうふうに思っています。
上村:確かに。目の前の人の笑顔。それだけでも元気もらえますけど、それが回り回ったら日本全体に対する影響も与えている一役になるんだなと思ったらすごく素敵な話ですね。
上村:最後に数本さんに聞きたいんですけど、それだけみんなの笑顔をたくさん作りたいって言っているのにご自身の最後はたくさんの人達の涙をみたいという話をされていましたが、最後の最後はみんなで笑顔はダメなんですか?最後の最後のその自分が亡くなった時にみんなに笑顔になってもらったらダメなんですか?
数本:それね、それはまぁどうなんでしょう。
上村:思いっきり泣いてもらった後に笑顔なんですかね?
数本:そうですね。やっぱり、いなくなったら悲しいじゃないですか。
上村:そうですね。
数本:でもその後、食べる機会とかあるじゃないですか。
みんな来てくれて、「じゃあみんなでメシを食って帰ろうよ」みたいな時に「そういやあいついろんなことしたよな」「あんなことをしてほんまになんか楽しいやつやったな」みたいな感じで笑ってご飯食べて帰ってもらえたらそれでいいんじゃないかなって。
上村:確かに、そうですよね。
本日は貴重なお話をありがとうございました。
インタビューを通じて
インタビュー記事内でも触れていますが、数本さんは中小企業診断士の仲間で、診断士登録も1年違いでほぼ同期、年齢も同い年、独立した年も2022年と一緒、前職は製造業出身と共通点が多く、地域愛や若者に対する想いを持たれているところも凄く共感する部分があり、今回インタビューさせていただきました。
ご自身も仰っていましたが不器用な部分もありながらも、私はすごく実直な方で誰からも慕われる方だなと思います。カリスマ性の話がありましたが、昨今、サーバンドリーダーシップとかシェアドリーダーシップといった新たなリーダーシップ像が提唱されてきていますが、これからの環境変化も早く、知的労働の割合も増えていく中で、共感性や巻き込む力は重要になってくると思います。数本さんが話してくれていたように若い人たちもどんどん助けを求めたり、自分の想いを発信する事が大切だなと感じました。
私自身も今回、想いを書いて言葉にして、それを発信した事により彼とのインタビューが実現しました。言葉にして伝える事、当たり前のことではありますがこれからも続けたいと思います。
そして皆さんも今一度、ご自身の地域や周りを見つめ直してみるのはいかがでしょうか。今まで見えていなかった地域や身近なところの良いところを再発見できるかもしれませんし、何か新たな地域との関係性が生まれるかもしれません。(文責:上村拓也2023年9月29日)
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